人は死なない
息子がまだ小さかった頃、母の姉のお墓参りに行くことになりました。
兄の運転する車に、私と息子と母、そして母の妹の5人で、東京から2時間程かけて母の生まれ故郷へ。
蛇行した山道を少し登った先にある、叔母と叔父の眠るお墓。
運動不足な身体に久々の山道はこたえましたが、マイナスイオンたっぷりの山の空気はとても美味しく、久しぶりに踏む土の感触はやはり気持ちのいいものでした。
山道を登り終え、お墓に着いた私たちは落ち葉を拾い辺りを綺麗に掃除をしました。
そして掃除を終えると、各々が墓前に手を合わせました。
私は心の中で、
「子どもの頃、鶏小屋から取って来た卵でいつも目玉焼きを作ってくれたよね。すごく美味しかったよ。もう1回くらい逢いたかったなあ。
優しくしてくれてありがとうね。おばちゃん大好き。」と伝えました。
家族皆が祈りを終えて、「じゃあ、帰ろうか。」と私たちは再び蛇行した山道を下へ歩き出しました。
ヒールの高いブーツで来てしまった私は、行列のいちばん後ろを「こんな靴で来るなんて失敗したなあ。」と思いながらのんびりと歩いていました。
すると突如、自分の意思とは全く関係なしに私の足がピタリと止まりました。と同時に何故だかわからない感動が押し寄せ、急に涙が溢れ出したのです。
自分に起きていることが把握出来ず、私は頭が狂ったのか?と一瞬パニックに。
ところが次の瞬間、地面の土を見ていた私の視線に、別の誰かの視線が重なったのを感じました。その瞬間、
おばちゃんが来てくれたんだ!
と理解しました。
叔母の魂が私の身体に重なったのを感じたのです。
私の魂が直に叔母の魂を感じたので自我である顕在意識が追いつかず、理解をするまでに時間差があったのでした。
しかしながら、顕在意識が理解していなくても
それはそれは計り知れない感動でした。
魂=愛そのもの。
その出来事を誰に告げることもなく、私は心の中で「おばちゃん、ありがとう。」と言い再び歩き始めました。
そして叔母に感謝すると同時に、死後の世界は本当に存在し、魂は生き続けることを実感したのです。
死後の世界の有無を知るには、自分が死ぬか、臨時体験をするしかないと思っていた私にとって、それは晴天の霹靂でした。
叔母には私や他の家族が手を合わせて祈っていた心の声が全部届いていたのでしょうか。
その答えは私にはわからないけれど、私の身体に叔母の魂が重なったあの出来事は、この世でのいちばん小さなワンネス体験でした。
その貴重な体験があるから私は、
「人は死なない。」と思っています。
早いものであれから10年以上の時間が流れ、あの時一緒にお墓参りに行った母も今年の5月に亡くなりました。
この2〜3年は567のおかげで1年に1回くらいしか会うことが出来ず、未だに実感がありません。
母はまだ病院にいて、実家も今まで通りにある気がしていて、ふと帰ろうかと思っては我に返るの繰り返しです。
それでも、肉体の痛みから解放され、叔母のように愛だけの存在になり今も別の世界で生きてくれていると思うと、不思議と安心した気持ちになるのでした。
たとえ目の前から去ってしまっても、想いは全部届いているのだと思います。
ワンネス体験された壮絶な話。
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