デジタル社会ともののあはれ
自分ではどうしようもできない大きな流れというか、力のようなものを感じることがあります。
そういうものへのやるせなさ、はかなさに昔の人はもののあはれを感じたのかなあ。
悲しい、悔しい、切ない――そんな気持ちをかみしめて味わって生きていたのでしょうか。
今の時代はそういう感情をSNSとかテレビ、ネットでただ消費してしまっているような気もします。日本語の形は変われど、日本語を話している限り、見えないものでつながっている気がするんだけどなあ。
でも、自然災害とか事件、伝染病など、ひとつひとつのことがデカすぎたり、情報量が多すぎたりして、自分や社会に向き合うのは昔より難しいとも思います。
流動化するデジタルな社会に飲み込まれないように、毎日過ごしていきたいです。
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