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【前立腺ガン治療日記⑫】その後の顛末

母へのカミングアウト

結局、治療最後の晩は小樽の実家に泊まることにした。もちろん、「あれ、突然どうしたの?」と、?顔の母と夕食を食べに行く。珍しくスパゲティが食べたいというので、近くのショッピングモールにあるチェーン店のイタリアンで夕食にした。

どのタイミングで母にこの病気のことを話すべきか迷っていた。食事中に、ぼくがガンであることを話たら、きっと母は泣き出すに違いない。パスタも冷めるに違いない。30代からシングルマザーになり、3人の子どもを育てながらサバイブしてきた、文字通り昭和の「胆っ玉かあちゃん」なのだが、涙もろくて心配性なのだ。

「この白いのが食べたかったんだよ」と、カルボナーラを頼んだ母が、だいたいパスタを食べ終わるのを見計らって、アイスコーヒーを頼んだ。食後のコーヒータイムに話すのが、一番正しい気がした。コーヒーが届くまでの時間、仕事な話や母の腰痛の話をした。コーヒーが届いたので「そろそろ話してみようかな」と気持ちを固める。

「あのね、母さん」と、コーヒーを一口飲みながら話を始めたところ、舌に異変が。思っていた口内の感覚と少し違う。「あ、これ、コーヒーじゃなくコーラだ」。

どうやら、店員さんが隣のテーブルと間違えたらしい。コーラも嫌いなわけではないのだけれど、どちらかというと、ガンのカミングアウトならコーヒーだろうと思う。炭酸飲料だと、なんだか決意の泡も消えてしまいそうだ。慌てて店員さんに「これ、コーラです!」と間違いを伝えて、母と大笑いした。

コーヒーを待ちながら、母にガンの話をした。どうしてガンが見つかったか、なぜ 母には話せなかったのか、治療はどんな中身だったのかなど、時系列で順繰り話をした。話を聞く母の表情が少しずつ曇っていくのがわかったが、すべて隠さず話してしまった方が良いだろうと、ガン自体のリスクや治療の問題なども話してみた。

思い返すと、今回のぼくのガン発見はラッキー続きだった。健康診断のPSA数値(前立腺ガンのリスクを示す値)は、通常の血液検査ではわからない。自分では忘れてしまっていたのだけど、気まぐれにいつのまにか(?)PSA検査オプションにチェックをつけていたこと。これは、最初の幸運だった。

最初に診断していただいた泌尿器科の先生がとても親切な人で、通常なら生検はしなくていいところを「気になるなら念のためしますか」と検査の決断をしてくれたため早期発見に繋がったこと。ずっとかけていた生命保険がおりたおかげで、最新の放射線治療も受けることができた。

一連の話を聞いて母は一言ぼくに言った。
「あんたは幸運だったね」
そして、母はアイスコーヒーを飲みながら少しだけ泣いた。

細かく説明したせいもあり、母は安心してくれたようだった。たまたま、最後の日に実家に泊まるハメになったことも幸運だったのかもしれない。あのちょっとだけ気味悪い部屋にも感謝しなくちゃならないのかも。一番心に引っかかっていたこともクリアになり、最終日の治療に行くことになった。まだ、暑い夏だか少しだけ湿度の低い日だった。

最後の治療へ

最後の日も、やはり200mlの尿を溜めなければならない。いつものように治療着に着替えてエコーで膀胱の中の水分を測ってもらった。測ってくれた看護師さんは、なぜだか満面の笑顔。「渡辺さんすごい!一発で200mlジャストです!」

ここ12日の治療の間でだいぶ200ml問題に振り回されずに済むようになったのだけど、最初の計測で200mlと1mlもずれなかっのは初めてだった。看護師さんも「ありそうで、なかなかないんです」と、とても嬉しそうに褒めてくれた。この技術を他に使えることはないのだけれど、それでも人に褒められるということは、嬉しいことだ。

12日間で一番最短で治療を終えて帰ろうとすると、今までお世話になった看護師さんが3人並び、「治療終了おめでとうございます!」と笑顔で拍手をしてくれた。ほかの患者さんもいたので、ちょっと恥ずかしかったのだけれど、照れながら手を振って、病院のみなさんとお別れをした。なんだか、ちょっと寂しくなった。

病気になることは不幸なのか。
病気になっても幸福でいられるのか。

瑣末なことなのだけれど、ぼくは、また新しい人生の宿題をもらった。体質的に、いつかは、また体の中にできるであろうガンと対峙しなければならない時がくる。つぎも、ぼくは新たな別なガン細胞に打ち勝つことができるのか。それは、その時になってみないと良くわからない。

今回の治療が根治するには3年くらいかかるらしい。それまでは、数ヶ月ごとに検査をしながら様子をみなければならないそうだ。数ヶ月後にぼくは、また、この病院の入り口ドアをくぐる。その時は、もう、尿を200ml貯めておく必要はないのだけれど。それは、なんだか、少しだけ寂しい気もした。

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