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就職留年を決めたときの話

投稿コンテストなるものの存在に気付き、ハッシュタグを見ていて気になるものがあった。

「#自分で選んでよかったこと」

30年も生きていてお恥ずかしい話、私の人生にそんなに激動はない。
その中で唯一、でっかい決断だったなと思えるのが就職留年を決めたときの話だったので書いてみる。


私が就活をしていたのは2016年。売り手市場のど真ん中だった時代だ。
多くの学生が比較的楽な就職活動をしていたと思う。
私の大学でも、「え、うちからそんな大手に!?」という学生がわんさかいた。

でも私は超難航していた。
どれだけ斜陽になっても情熱的な学生がこぞって受験するマスコミ業界、それも全国向けの会社ばかりを受けていた―からなのかどうかはわからない。
正直、同じような学歴でもでっけぇ新聞社なんかの内定を取った子はいただろう。
ESの通過率は悪くなかったしテストで落ちることはなかったので、まじで面接がゴミだったんだろうなと思うが、私は私が魅力的だと思うエピソードを話していて、いまでもそれが魅力的だと思っているので、なんにも建設的な振り返りができていない。

そうして周りがどんどん就職をやめていく中、「とりあえず一個は内定を取っていないと焦って変なことしちゃいそう!」と思い、2016年8月、地元の中では一番好条件の会社の内定を取った。

そしてたるんだ。

福利厚生や給料面だけ見れば、私の第一志望の会社よりずっと条件が良かったのである。
業務内容が全く好きではないけれど幸い趣味もたくさんあるし、疲れたし、仕事はお金のためだけになってもいいかもしれない、という気持ちにもなる。
でもマスコミ業界は、5歳からの夢だったことあり、簡単に「やーめっぴ」とも言えず、だらだら就活を続けていた。

どうしよう。
就活を続けながらもずっと考えていた。
このまま内定をくれた会社にふらっと入ってしまおうか。
それで、新卒として働きながら第2新卒や中途を目指して水面下で就活を進めることはできるし。
就活にかかるお金のことを考えたらそのほうがいい。

でも――私、口先だけだしなぁ。

安定を前に、そんなにしゃかりき頑張り続けられる自分じゃない。22歳だからそれはもうわかる。
入社したら絶対楽なほうに逃げる。
ものすごいブラック企業でもない限り、この会社で働き続けてしまう。
それも幸せなのかもしれないけど…

そんなことを考えているうちに、ついに公務員組の内定が出て、久しぶりにサークルのメンバーで集まった。
みんなで内定先がどこなのか報告し合い、私も一応報告はできたけれど、言うの嫌だなと思った。
サークルの同期はみんな優秀だったので、ほとんどが第一志望に決まっていた。
就職先のネームバリューが問題ではなくて、その「希望がかなっている」が羨ましかった。
これは当時から変わらない思いだが、人間は良いものを得ている人ではなく、欲しいと思ったものを得ている人が強いのだと思う。
同期の屈託のない様子がつらく、同時に「みんなみたいに」と思った。

みんなみたいに就職が決まったことをちゃんと喜びたいし、働き出した時のこと前向きに想像できるようになりたい。

なら、今の会社に就職することはできない、と思った。




そしてそのことを、いち早く察知していた人たちがいた。両親である。
年末になっても就活をやめない私に両親は言った。

「今年就職するのはやめてもいいよ」

正直、言いやがったな、と思った。

もちろん就職浪人については何回も考えた。
でもそのたびに、ビビっていて言い出せなかった。

それをまあ、親のほうから言うかね。
私が相談するのを待てなかったかね。

「お前から相談してくるのを待つべきかと思って年末まで待ってたけど」

あ、待ってたんだね。
私はいつも両親が期待するよりとろい。

「珍しく頑張ってたから。頑張ってだめだったのは無駄じゃないから、仕切り直してもいいよ」

これは、うちの両親の基本理念だ。ちなみに大学受験のときに志望校に届かなくて浪人したいと言ったときは、「受験勉強に全力を尽くしたとは言い難いから」という理由で却下されている。

「ただし条件がある。就職が決まるまで大学を卒業させません」
「へ?」

それはちょっと、衝撃の一言だった。
四年生の後期である。就活でバタバタしていたためまだ全部の単位を取り切っていなかったが、といっても4単位くらいのもんである。もちろん後期で確実に取り終わる。

え、大学って残りたいって言ったら残れるのかな?

ていうか、普通逆じゃないの?だって大学に残ったらお金かかっちゃうんですけど?

私は学費は可能な限り安く済ませたい派で、両親も意味もなく高いお金を払う気はない、という考えだったので保育園以外はすべて公立、大学受験も国立一本できた。
余分な学費を払ってもらうつもりなんて毛頭なかったのである。

「わからないと思うけど、世間的には留年してる大学生とフリーターじゃ全然違うから。少なくとも肩書を持っておく必要があると思うよ」

まぁ、それは確かに、そうなのかもしれないけど。
でも、次は絶対成功させるなんて言えない。一年分学費無駄にして、変な就職先かも。それか就職決まらないとか。

「…ちょっと、考える」

就職するか、大学に残って就活を続けるか。
年末年始、テレビ見ておせち食べてお酒を飲みながらもじっくり考えて、短い時間だけど友達ともたくさん話して、それで年明けの大学初日。




「すみません、このままいくと単位取り切れちゃうんですけど、留年ってできますかね…?」




私は学務のカウンターでそう言っていた。

留年の決めた理由は色々あるが、その中でも私が就職しなかったら1番困る人たちが、就職留年してほしいと言ったきたことは大きい。
それに、マスコミとその地元企業しか就活で見ていないまま決めたら、やっぱり後悔してしまう気がした。業界の選定からやり直すべきだと思った。
いただいた内定はお断りして、一から始めよう。

でもその前に。
本当に留年できるのか確認しないと流石にまずい。

学務のお姉さんは目を剥いていたが、大学は単位を取り終えたら絶対に卒業しなければならないところだと教えてくれた。
ただ、単位がまだ取りきれていないなら手はあるとも。
結局その学務のお姉さんに「単位の放棄の仕方」を教えてもらい、私はなんとか留年する。
就職が決まっていたので教授会でもなんとかならないのかという話になったり、ゼミの教授が驚いて学務まで走り込んできたりなどの小さなイベントも起きたそうだ。全部自分では対応していないので詳細はわからない。
留年するために苦労する人も珍しいが、留年を応援して立ち回ってくれる大学職員はもっと珍しいんじゃないかと思う。
ちなみに、このあと大学卒業までこの学務のお姉さんはずっと応援し続けてくれた。どういうモチベーションで関わってくれていたのか今でもわからないが、ずっと感謝している。


と、振り返ってみたら、自分で決断したって言っていいのか不安になってきた。
でも、就職留年を選んだことは一度も後悔していない。
結果的に夢は叶ったし、就職留年時代の経験も自分の人生に欠かせない思い出で、正直後ろめたいどころか自慢ですらある。
馬鹿にしてくる人もいないではないけれど、「人間は良いものを得ている人ではなく、欲しいと思ったものを得ている人が強い」理論により、私は強いので無傷だ。
また、就職留年した中で経済的な事情から夢を諦めた人に会う機会などもあって、夢を叶える前に、夢を叶えたいと思い続けられること自体、一つの特権だと学んだ。
だから30歳私は、「諦める」にも敬意をはらえる。
我ながらそれってちょっと素敵だなと思ったりする。


人に助けられっぱなしなので、スキル的に成長したかはちょっと微妙だけど、気持ちの成長の面では多分不可欠だった就職留年の話でした。



古い話だけど就活について思い出してみた


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