大人は卒業を祝ってもらえない
3月。袴姿の女子大生をちょこちょこ見かける。キラキラきゃっきゃして、眩しい。私もつい最近あれを着たような気がするのだけど、もう7年も前のことらしい。
「卒業」という儀式は、学校の卒業式をもって一旦終わる。「退職」は近しいものかもしれないけど、童貞卒業とかそういうのもあるけど、まあ正式な行事としては、一旦終わる。
じゃあ「卒業」がなくなるのかといえば、
そうなのだろうか。
逆に、自分自身でしか祝ってあげられない、ささやかな「卒業」が無数にあるんじゃないだろうか。
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この前友達と「クラブでオールってもう無理だよね」という話をしていて、ふと思った。もしかして、私はもう一生、「クラブでオール」をしないんじゃないか。いつの間にか、オールから卒業していたんじゃないだろうか。
そんなの誰も祝ってくれなかった。それどころか、自分で「今日で卒業だ!」と気づくことすらなかった。
親に嘘をついて彼氏と旅行することも、もうない。
公園で朝まで缶チューハイを飲むことも、たぶんない。
1泊300円のお湯が出ない安宿も、そろそろキツい。
生足にミニスカート。さすがにキツい。
コスプレでコンビニ。連続ドラマの録画。携帯ストラップ。始発でディズニーランド。ワサビ抜きのお寿司。うーん。
あのささやかな、しょうもないけれど愛しい経験たちからの「卒業」はいつだったんだろう。思い出せない。
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卒業は、「儀式として設定され祝われるもの」じゃなくて、「気づいたら音もなく訪れ、過ぎ去っていくもの」になった。
だからときどきは、ひっそりと卒業を迎えたものたちを、自分でお祝いしてあげるのだ。さようなら、しょうもない思い出たち。卒業おめでとう、またいつか。
あしたもいい日になりますように!