ただの夜を旅する
夜に出歩くことがめっきり減った。この時期、友達を飲みに誘うのはちょっと気が引けるし、なにしろお店が開いてない。子どもに合わせて21時頃に寝る支度を始め、そのまま一緒に寝てしまうのが常だ。
昨夜はめずらしく寝落ちしなかったので、22時半頃、散歩がてらコンビニにアイスを買いに行くことにした。ポケットに財布とカギだけを入れて外に出る。さわりと風が吹く。夏をすぐそこに控えた夜風。季節というのは毎秒変わりゆくものだけれど、昼よりも夜のあいだに加速して進む気がする。なんだかそんな気がしませんか。
飲み屋もとくにない街だから、暗くなると本当に静かだ。犬の散歩をするお姉さん、自販機で飲みものを買うタクシーの運転手さん、ゆったりと自転車をこぐおじさん。それぞれが蛍の光みたいに夜を漂う。公園の向かいに建つアパートの一室はカーテンが全開で、オレンジ色の灯りの下で、タンクトップ姿の男の人がビールらしきものを飲みながら大声で電話しているのが見える。
これはいいなあ、と思う。
なんというか、「ただの夜」なのだ。人工的な騒がしさもなく、きちんとした目的を持ってどこかへ向かう人もいなく、「夜」に必要以上の意味付けがされていない。そこにいる人たちは、何も求めていないし求められていない。シンプルで純度の高い時間だ。
そして、そんな空気の中を歩いていたら、「ただの夜」を感じるだけの旅をしたいな、という気持ちがむくむく湧いてきた。
*
たとえば、こんな感じだ。
家を出るのは21時くらい。ひとりだし一晩だけだし、荷物はリュックひとつでいい。出発前にシャワーを浴びて化粧も落として、いちばん身軽な体で出かけたい。
目指す場所は、家から車で1時間ちょっとのところがいい。有名な観光地じゃなくて、わざわざ行かないような街がいい。駅前にロータリーがあって、コンビニやマックや吉野家なんかがあって、メイン通りの一本裏に個人経営の居酒屋やスナックがぽつりぽつりとあるようなところ。
車に乗ったら、ナビの目的地を適当な街の適当なビジネスホテルに設定する。「目的地を設定しました」それからFMラジオをかける。夜が静かに深くなる。のろのろと走り出す。信号待ちのバックミラーで、後ろの車を運転する男の人がタバコに火をつけるのが見える。
窓を少しだけ開けて、高速道路のゲートをくぐる。合流車線でアクセルを踏み込んだ瞬間に、ラジオから10年前に大好きだった曲が流れてきたらうれしい。サービスエリアには寄らずに、まっすぐ走る。ときどきスピードを出した車がびゅんと横を追い抜いて、遠ざかる。
22時半ごろ、目的の街に着く。予想通りに平凡な街だけど、それがいい。ここを目指して来た人なんて誰もいない。ただなんとなく、流れのままにたどり着いた人ばかりが暮らす街。いま行くのなら、そういうところがいいと思う。
ビジネスホテルにチェックインしたら、荷物を下ろしてふらりと外に出る。犬の散歩をしている人や、のんびりと自転車をこぐ人。家の近くの風景をそっくりコピペしたみたいな「ただの夜」が広がる。コンビニで缶チューハイと雑誌を買う。電柱に貼られている小児科の電話番号。一軒家の庭に置かれた植木鉢の群れ。そんなものたちを一つひとつ眺めて歩く。人間の姿をした宇宙人みたいに、自分の輪郭を少しだけ濃いめに意識しながら、ホテルまでの道を少し遠回りして帰る。
パジャマより「館内着」と呼んだほうがいいような服に着替えて、真っ白なシーツが敷かれたシングルベッドに飛び込む。コンビニで買った雑誌をごろごろ読みながら、Twitterをひらいたり、テレビをつけてみたりする。きっとその頃には眠くなっているはずだ。(大人になると夜更かしがきつくなるというのは本当です)1時をまわった頃、電気を消して布団をかぶる。
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それだけだ。次の日は6時くらいにさくっと目覚めて、そのまま家に帰って、なにごともなかったように一日を始めたい。本当に、ただそれだけで終わる退屈な旅がしたい。
そんな妄想をしながら、コンビニの袋をぶらさげて家までの道を歩いた。公園に、剣道の素振りしている人たちがいた。季節がまた少し進んだような気がする。
「ソファでわたしは旅をする」は、"空想の旅"がテーマの共同マガジンです。
あしたもいい日になりますように!