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「はじめからなかったこと」と同義にしたくない日々のこと

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なまものの自分と向き合う時間をつくるための日記
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2018年7月の記事一覧

人と言動を分けること

人と言動を分けること

この前友達に「きらいな人ってどんな人?」と聞かれて言い淀んだ。なんだかいやだなあ、と思うことは日々たくさんあるはずなのに、それを「きらいな人」ということばに当てはめようとすると、うまくハマらないのだ。

そもそも怒りを感じにくい人間なので、「この人のすべてがいやだ、きらいだ」と思うことはめったにない。まあ、大人はだいたいそんなものだろう。人は多面的なものだから、いいなと思う面・いやだなと思う面を両

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生産性のない最高な休日

生産性のない最高な休日

土曜日は、フジロックのLIVE中継を見ていたら1日が終わった。今日は、浅草のブックフェアをぶらぶらして、みーさんがつくったごはんを食べて、少しだけ隅田川の花火を見て、それからずっと気になっていた『カメラを止めるな!』を観に行った。

人がつくった音楽に感動し、人がつくった本を買って、人がつくったごはんを食べ、人がつくった花火や映画を楽しんだ。生産性のない休日だなあと、なんとなく後ろめたい気持ちにな

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点の感情と、線の感情

20歳の春、初めて1人でライブに行った。文化村ホールでの鬼束ちひろのライブだ。

中学生の頃、彼女の歌が大好きだった。友達と言ったカラオケで『眩暈』を熱唱し、「なんか、すごい歌詞だね……」とドン引かれたのはいい思い出だ。私が高校に進学したころに彼女は活動を休止し、文化村の公演は“復活ライブ”とも呼べる久しぶりの単独ライブだった。

彼女は、ピアノ1台とマイクのみというシンプルなステージに、真っ白な

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フジロックと私

フジロックと私

学生最後の年に友達と初参戦して以来、FUJI ROCK FESTIVALに一度も行っていない。と書くと、つまらなかったの?と思われそうだけど、そんなことはない。それどころか、もうめちゃめちゃ楽しかった。ライブハウスで見るいつものライブとは全然違って、自由で解放感に溢れていてピースフルで終始鳥肌が立つほど最高だった。帰り道、来年も絶対に行くぞ、と誓った。なのにあれから8年、一度も足を運んでいない。

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リクルートスーツに“個性”は消せない

社会人になったばかりのころ、友人Yと「別れた恋人のSNSを見るか」という話になった。

私「見るでしょ」
Y「見ないよ」
私「新しい彼女らしき子を発見したらその子のアカウントも見る」
Y「なにそれキモい」
私「どんな子か気になるじゃん」
Y「そもそも、彼氏のSNSアカウントって普通知らなくない?」
私「えっ」

そんな話をした。(文字に起こすと改めてしょうもない)

Yとわたしは、同じ年に社会人に

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他人に言われる「ダサい」なんて、どうだっていい

他人に言われる「ダサい」なんて、どうだっていい

田舎という単語を「だしゃ」と読み、形容詞化して「だしゃい」と読んだものが転じて「ダサい」となったとする説、東京都民が埼玉県民を「だって埼玉だから」と蔑視した言葉が簡略化されて「ダサい」になったとする説、1978年版『現代用語の基礎知識』では暴走族起源の言葉とする説を採用しているが、定かではない。(Wikipedia「ダサい」より)

この前ある人に、「ほんとに毎日note書き続けててすごいですね」

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幽霊も電車に乗るのかもしれない

幽霊も電車に乗るのかもしれない

見渡す限り人・人・人……な渋谷の街を歩いていると、この中に何人かは、もうこの世にいない人が混じっているんじゃないかと思うことがある。

「東京の満員電車、『もうこれ以上1人も乗れない』ってくらいぎゅうぎゅうに混んでても、次の駅でまだ2,3人乗れるのおかしくない?」

いつだったか、酔いが回った頭で友人Iが言ってた。「駅に着くたびに、車内で何人か、ふっと消えてると思うねん」

そんなことはもちろんな

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誰かの成功や挫折は、誰かの救済のためにはない

誰かの成功や挫折は、誰かの救済のためにはない

「何かを成し遂げたり、大きな挫折を乗り越えたりしたあとは、“僕の話を聞きたい人”じゃなくて“僕に話を聞いてほしい人”が集まるようになる」と言ったのは、作家のTさんだ。「話を聞きたい」と言われて会ってみると、逆に迷いや不安を打ち明けられること、つまり、いつのまにか悩み相談の相手になっていることが多いのだという。

数日前、宇多田ヒカルに密着したドキュメンタリー番組を見た。その中で彼女が「安息や救済は

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今回の人生では

友人Sは、「今回の人生では……」ということばをよく使う。たとえば、どちらか片方しか選べない2択を迫られたら「今回の人生ではAにしとく」と言う。人生100年では叶えられないくらいの大きな夢を語り、「でも今回の人生ではその途中まで進めればいい」と言う。

最初はなんだそれ、とバカにしていたけれど、でもそう考えないとがんばれないときもあるよなあ、と最近思う。

日々選ばなきゃいけないことがたくさんあって

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あるフィギュアスケート選手と、マユコのこと

一昨日、Twitterをだらだらと眺めていたら、ひとつの訃報が目に入った。海外のあるフィギュアスケート選手が強盗に襲われて亡くなった、とあった。

彼の演技を初めて見たのはたしか2009年頃だ。フィギュアスケートという競技の中では聞きなれない国名で、しかもまだ15,6歳と若かった。気品があって、人を惹きつける滑りだった。すぐに名前を覚えた。それからも、テレビで放送する国際大会では、毎回必ず彼の演技

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“毎日続ける”が守るもの

“毎日続ける”が守るもの

「毎日書く」を始めて、今日で20日目になる。3週間にも満たないこの短い期間に、いろんなことがあった。たかが20日、されど20日だ。

新しいワンピースを買った。仕事でちょっとばかし怒られた。好きなバンドがひとつ増えた。向けられる覚えのない悪意に凹んだ。最高におもしろい映画を観た。毎日寝る前に、短い文章を書いた。

***

糸井重里さんは、1999年の6月から、ほぼ日の看板コンテンツ「今日のダーリ

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「あした晴れたら電話するね」くらいの見通しで生きたい

「あした晴れたら電話するね」くらいの見通しで生きたい

2年前、結婚式の乾杯の挨拶を伯父さんに頼んだ。

父の兄。私の実家の隣町に住んでいる。人が好くて、誰かをだましたりズルく立ち回ったり、そういうことができない人だ(たぶん)

電話で正式に依頼をすると、「挨拶文を考えるにあたって今のちひろちゃんのことを聞きたいから、どこかでもう一度、30分くらい電話をしてもいいかな?」と、伯父さんは言う。いつ頃がいいですか?と聞いたら、「こういうおめでたい話は、晴れ

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大人の不完全さはかわいい

大人の不完全さはかわいい

「怒られること」についての古い記憶がある。4歳くらいの記憶だ。

幼稚園の講堂。クラスの子どもたちが集まって、発表会の演劇(たしか、「こぶとりじいさん」だった)の練習をしている。担任のかおり先生が子どもたちに指示を出し、副園長のかずこ先生が遠くからその様子をじっと見ている。

途中、子どもたちのフォーメーションをどうするかで、かおり先生が少しもたついた場面があった。こっち?いや、こっちかな?と、子

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「妖精さん」の話

「妖精さん」の話

大学生の頃。学校からの帰り道、いつものように山手線に乗った。池袋から運良く座れて、しばらくうとうとしていたら、突然目の前に立っていた知らないおじさんに軽く肩を叩かれた。

「秋葉原だよ」

ハッと目が覚めて、「ありがとうございます」といそいそお礼を行って降り、総武線のホームに向かいながら、あれ?と思った。どうしてあのおじさんは、私が秋葉原で降りるとわかったんだろう。

こんなふうに、日常の中で突然

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