食べる物で騒ぐのは女だから。映画「大コメ騒動」

レディースデイにひとりぼっちで(本当に自分一人しか客がいませんでした)映画「大米騒動」を観てきました。

予告編では「富山の漁村の強い女が、暴動で米を持っていかれるのを阻止した!」すごい痛快な映画のような印象を受けますが、本編は複雑な問題を描き出していて、痛快さとは異なる思いを抱きました。

女たちのやりとり、つぶやき、叫び、悲嘆など、どれも心に残る場面ばかりですが、一番印象に残っているシーンは、主人公「いと」の姑が、夫が漁に出で帰ってこなくなり、女手一つで子どもを育てる苦労話をして女のツラさを語るところです。

男はごはんが出てくるのを当たり前やと思うとる。だから、女が食べるもんのことで騒いどるのが理解できんのや。

この言葉は100年後の今も生きていると思います。

100年前の漁村でも、男は稼いできさえすれば、食いものが食卓に並ぶものと思っています。米価が高騰しようと、そんなものは女が甲斐性でやりくりするものと考えています。シベリア出兵に備えて米価つり上げを図る米屋も同じような考えです。米が食えんがやったら死んだらいいがいね、甲斐性のないもんいうたら、それが相応や。といったかんじです。

主人公「いと」の息子はまだ11歳ほどですが、父親が漁のできない時期には出稼ぎでおらず、母親が米俵を港の船まで積み込む男仕事で日銭を稼ぐ姿を見ています。1日稼いだお金でその日食べる米が買えないほどに米価が高騰しているためにひもじい思いをしていることを知っています。だからシベリアへ行く、兵隊になると言います。兵隊でもらった金で母ちゃんに腹いっぱい米を食わしてやりたいといいます。「いと」は、米がシベリアに届かなければ兵隊は米を食べられない、そしたら息子は兵隊にとられない、そう考えて、船への米の積み込みを襲撃します。

富山の漁村から始まった米騒動は全国に広まり、騒動を鎮圧できず内閣は総辞職となり、貧民救済法ができて、外米が支給されることになりました。

映画はここで終わっていますので一応の勝利ということになっています。

米騒動は「女が米をめぐって」起こした暴動であるがゆえに注目を浴びています。しょせん女は食う物で大騒ぎするもんだというオチです。

今も昔も同じです。今なら男だけではなく、子どもや、かつて子どもだった大人も、誰かが食う物を目の前に差し出してくれると当たり前に信じている人間にとって、食べることで騒ぐというのは滑稽で、ちゃんちゃらおかしいことなのです。たかが食い物です。三度三度のメシ程度で騒ぐのは女と小人だけだと。こちとら天下国家で忙しいのにのんきなものよ、というかんじです。

小耳に挟んだ、ちらりと目にした、どこかの学者の自説で、我が意を得たりと思う「考え」があれば、それを「自分の自説」にして天下国家を論じる男や男もどきには、米騒動もメシの支度も失笑でしかないのです。


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