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なんで自己肯定感が低いのか

なんで私恵まれた家庭環境の中愛を受けて育ってきたのに、自己肯定感低いんだろうか。
小4の頃にはすでに担任の先生には言われてた。

過度に持ち上げられたのだろうか。単に好きになったのが国旗の図鑑だっただけで、それでかしこいかしこいと親に持ち上げられて、親の期待に応えようと賢くあろうとした。でも外に出るともっと賢い人はいて、しかも私なんて同年代の輪に入れないハミ子。全然適応できない、賢く立ち回れない、優秀じゃない。理想だけが上がり、外で適応できないのに、家では褒められる、家ではお山の大将張ってる私。
たまたま国旗とか歴史が好きになっただけなのに。賢いと結びつけてしまった。

結局ずっと等身大の自分は受け入れられず、尊大な羞恥心と臆病な自尊心を持ち続け、山月記の虎になった李徴になってしまったというわけか。


でもなんだかんだ自己肯定感が低くて、ネガティブでもいいと思うこともある。

ラジオの帝王伊集院さんは、失敗したら7キロ歩くという。
反省してる時にお前またそういうストイックなところに酔ってるんだろって反省の反省はじまるらしい。
まじで私もそう共感しかない。今日だって勉強しながら、やらかしたことを引きずり反省、そしてなんですぐに切り替えることができないんだと反省の反省が始まる。
伊集院さんの脳内の伊集院さんが満場一致で良いということは、ないらしい。
あんなに話もうまくて知識もあってすごいのに。

逆に言えば、ネガティブで自己肯定感が低くても人から尊敬される人になれる、成功だってできるって知れた。

ネガティブでいいじゃない、ネガティブな自分を肯定できる、明日も頑張れる。

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