大正時代パート2

ある日、YouTubeで東海道の日本橋から大阪の淀、東海道五十七里を、電動自転車で行くという動画を見た。

20代の青年だったが、最初変わった企画をするものだと思って見ていたが、何日もかけていくうちに、真っ黒な顔になっていき、最期の方で土砂降りの雨の中を行く姿は、感動に何故かなっていた。

ある時、サービスエリアで90歳を越える義母が車に乗る時、苦労していたので私が、「今度の新しい車は、ステップがあるから来るまで頑張ってね」と言うと義母は、「凄い時代になってきたね」と答えた。

そして、しばらくすると、矢作川と言う東海道でも通る橋を渡った時、私が「昔の人は、この橋も歩いて渡ったらしいですね」と話しかけると義母は、「私の父は、蒲郡から大坂まで自転車で行った事があると聞いたよ」とポツリと言った。200キロは、越える計算になる。

「えーいつ頃ですか?」と尋ねると「シナ事変から真珠湾攻撃前のあたりかなぁ?」と又普通に呟いた。何々訳が分からない、歴史の教科書が浮かんだ。

それから、暫くYouTubeの青年の事と重ねて考えていた。その青年は、帰りは新幹線を使って帰りその新幹線の車内で、「涙は、出すタイプではないので出ませんが」と言っいたが相当感動していた事を思い出した。

今は、帰りは、新幹線を使える時代だが、義母の父は、帰りも自転車しかない。そのような時代に生きていた義母が、ステップのある車に乗る時代に生きている。

「凄い時代になってきたね」の意味をあらためて考えさせられた、車の中だった。🚗

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?