Remembrance Day Lest We Forget  戦没者追悼記念日

11月11日はRemembrance dayでした。
もともと1918年11月11日に終戦を迎えた
第一次世界大戦の終戦記念日でしたが
今では全ての戦死者、主に軍人・兵士の追悼式となっています。

日本では戦死者と言えば必ず一般市民も含まれますが
カナダのように歴史上戦争が国内ではなかった国では
戦死者と言えば軍人・兵士になります。
こちらもところ変わればです。


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例年ならばキンバリーのような小さな町でも
たくさんの参列者が出ますが
コロナ禍のもと、市長や主催者側からの呼びかけにより
参列を控えるようにとあり
関係者と数十人のみでのセレモニーに。

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ささやかな式でしたがこの日への平和に対する思いは
しっかりと届いたのではと思います。


Remembrance dayで欠かせないのはポピーの花。
左側の胸に必ず飾ります。

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このポピーの花の由来はカナダの詩人ジョン・マクレーの
「フランダースの野に」という詩からきています。

第一次世界大戦中、激戦地だったフランダースの野原に
国に輸送できなかった遺体、戦死者を埋葬しざるおえませんでした。
終戦後、友人が埋没された丘に行くと

“一面にひなげし(ポピー)が咲いていた”

ということからきているようです。

私のパートナーは毎年Last postとReveilleをトランペットで吹きます。
これも儀式での大切な一環です。

日本語でいうならば「消灯ラッパ」と「起床ラッパ」です。

でもRemembrance dayでは
“兵士達の命の灯りが消えそして再び蘇る”
という意味がふまえられていて、Last Post とReveilleの間に
2分間の黙祷(もくとう)を行います。

毎年思うのですがこの2分間はものすごく長く感じます。

セレモニーのあとRegion(退役軍人会)の招待で
昼食会に参加。

ベトナム・韓国戦争で軍事医療に携わっていたという
74歳のビルさんのお話を拝聴。

日本にも何度か訪れ沖縄は言うまでもなく
温泉ざるや東京であったヤクザの姉御の話など・・・
 ベトナムで立ち会ったお産の話
韓国で知り合った女性と6年間カナダで過ごした話など
いろいろ話してくれました。
昔話を聞いてあげる事だけが唯一この日私に出来る事でした。

第二次世界大戦後75年。
まだ生きていらっしゃる方も減り戦争の話と言えば
ベトナム・韓国・アフガニスタンの話へ・・・

未だに賛否の問われるこれらの戦争
未だ続く世界各地での戦争

日本からいつまでも伝え続けていかなければならない
滅核戦争

戦争を知らない子供たちだった私達に
今何ができるかもう一度考えてみようと思った一日でした。

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【text by Shinobu from Canada】

村田しのぶ Shinobu Murata V. 愛知県蒲郡市生まれ。豊橋市で学生時代を過ごし24歳の時、家出同然でカナダに渡る。その後勢いでカナダ人と結婚。15年後に力尽き離婚。レストラン、パブ、コーヒー・ハウス、ゴルフ場のラウンジ等々、17年間続けた自営業に終止符を打ち、現在は地元のカレッジなどで日本語・日本文化のインストラクターをしたり、スカイプで世界各国の生徒さんに日本語をレッスン中。趣味の音楽で知り合ったトランペッターとBC州にあるロッキーマウンテンの麓の小さな町キンバリーに在住。

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