ヤングケアラー

 最近、ヤングケアラーという言葉を目にする機会が増えた。大人が担うようなケア責任を引き受け、家族の世話をする子どもたちのことを言うらしい。

 うちの母が毒親だということは以前書いたことがあるが、父も自分勝手な人間だった。

私には一回り以上年の離れた弟がいる。その子を産んだとき、母は高齢出産と言われる年齢だった。そして、私は中学生で多感な時期だった。

 一人っ子だった私は弟ができて、嬉しかった。でも、里帰りできない母にとっては、いわば「お手伝いさん」状態だった。
炊事洗濯掃除をしつつ、学校にも通い、弟の世話をする、そんな毎日だった。
私の存在ありきでの出産だったんだなと後に思うこともあった。

 母は自分が他人にしてやったことは覚えているが、自分がしてもらったことは都合よく忘れる人間なので、私が青春時代を犠牲にしていたことなんて、すっかり忘れていることだろう。

父はもう一人欲しい!と切望してたらしいわりに、手伝うこともほとんどなく、仕事帰りにパチンコに寄って帰ってくるような人だった。家のことはほとんどしなかったと思う。

 高校生になると、早朝登校、夜に帰宅だったので、手伝いをする機会は少なくなった。
しかし、高3の受験時期に母が3ヶ月入院することになり、私が弟の世話と家事全般をしなければならなくなった。

その時も父は家のことには無関心だった。あの人だけ、今までと変わらない生活をしていたわけだ。受験生の娘のことなんてひとつも考えてなかったのだ。

 最悪だったのが、これに叔父(父の弟)が我が家で夕飯を食べることになったのだ。親とそう年齢が変わらない叔父から食費1万を貰い、叔父の分まで食事を作らないといけなくなった。家族ならいいが、普段盆正月にしか会わない叔父さんに夕飯を作るなんて重荷だった。

 受験勉強なんてする時間は本当に少なく、睡眠時間を削っても難しかった。結果、第一志望に落ちた。
母が退院した数日後、私は母に詰られ、責められた。
「お前の出来が悪いからだ、うちには金なんかない、働け!今すぐ働け!」
鬼の形相で責められたことを私は今も忘れられない。

 母の友人は後に
「あなたの代わりに家族の世話をして、受験勉強なんてする暇もなかったのに、そんなひどいことを言ったんだね。」
と呆れて、離れていったと聞いた。

 一応私立大も合格していたが、家を出るのは許さないとのことで目の前で書類を破られてしまった。
その後、祖父の助言もあり、浪人して別の大学に入学した。

 あの高3の大事な受験時期に、大人3人が家族を助けたいという子供の気持ちを搾取してたんだな、と考えると、暴れ出したくなる。
40過ぎた大人のくせに私に夕飯を作らせて、味の品評をしてた叔父も、家事を何一つ手伝わず自分は普通の生活してパチンコに行ってた父も、私に全てを背負わせたくせに、その責任をとらない母も、皆クソだなと思う。

 18歳を超えても、ケアラーとしての役割を求められ、結局そこから抜け出すのに、相当な年数がかかった。抜け出すまでの苦悩や、辛さなど彼らにはわからないだろうし、わかるとも思ってない。

 ケアラーとしての役割から抜け出したあと、母たちは普通の一般的な親のふりをしていたが、陰では私の悪口を言っていた。
その影響なのか、弟は
「姉ちゃん好きすぎて○○したくなる。」
と恐ろしい言葉を伝えてきたことがある。
恐らく何かしらの病なのだと思う。
私はまだ人生を終えたくないので、彼とも一生会いたくない。彼がこういう状態に至ったのも、毒母の教育の賜物だから、責任をとって欲しいと思う。

 ヤングケアラーとして消費された私の時間はもう戻ってこない。
だから、せめて、親から解放された時間を過ごしていきたいと思っているが、それは贅沢なのだろうか。

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