私の祖父

 母方の祖父は、15年前に亡くなった。私が幼い頃は厳しいイメージが強く、近寄り難いところがあった。
実際、私が初孫ということもあり、どう接していいのかわからなかったから厳しく接してしまったと、後に祖父は語っていた。

 祖父母は農業をしながら、6人の子供を育て上げた。自給自足に近い生活で、自然と共に暮らすそんな生活を送っていた。
子や孫たちは、季節が巡るごとに祖父母宅へ集まり、茶摘みや、田植え、野菜の収穫、稲刈り、餅つきなどを皆で協力しながら行っていた。
冬になると祖父が作ってくれた甘酒を、囲炉裏の傍で飲む時間はとても幸せだった。

 (ちなみに実母は実家である祖父母宅に帰ると、嘘のように普通のお母さんをしていた。)

 祖父は、「学ぶ」ことに対して何歳になっても貪欲な人で、時折、祖父宅に集まった町の有識者と、様々な議論を交わすこともあった。頭が良い人だったのだと思う。
 私が毒母の妨害で大学進学ができない状況になった際には
「かなみはやれる子だ。」
と言って、私の浪人を後押ししてくれることもあった。今思えば、娘(母)の暴走を見て止めなければという気持ちもあったのではと思う。

 就職した私は、祖父母宅に行く回数は減ってしまったが、それでも盆正月には会いに行き、仕事の話を聞かせた。
当時、私の仕事は「祖父がなりたかった職業」でもあったので、大変喜んでくれた。

 私が結婚した二年後、祖母が他界した。
その時の祖父の落胆ぶりは大変なもので、私は時間を見つけては、様子を見に行くようにした。
しばらくは元気がない様子を見せていたが、祖父は90代半ばを迎えてからは、デイサービスに通い、農作業や料理をするなど、日々の一人暮らし生活を楽しむようになっていた。

 そんな祖父であったが、98歳を迎えた一週間後に他界してしまった。彼が倒れているのを同じ敷地に住む親戚が発見したのだが、その時には既に亡くなっていたそうだ。その前の晩に、親戚が夕飯を届けたときは元気な様子を見せていたらしく、本当に突然の別れとなってしまった。

 晩年まで、寝たきりになることもなく、最後まで一人暮らしを続けた祖父。亡くなるときは、誰にも迷惑かけずに逝きたいと冗談のように呟いてたが、その通りになった。
不謹慎かもしれないけれど、なんだか祖父らしいなと思った。
 
 祖父が他界し、実母とはもうほぼ絶縁状態になってしまって、帰省することもなくなった。それでもしばらくは、祖父母の墓参りだけは欠かさず行っていたが、私を見かけた親戚が母に「かなみちゃんが墓参りに来てたよ。」と善意で伝えたことにより、大変面倒くさいことになったので、すっかり足が遠のいてしまった。
そういう訳で、今は、心のなかで、祖父母のことを思うに留めている。

 今でも冬になると、祖父母の作った甘酒がとても恋しくなるときがある。
本当に私のことを大事にしてくれた祖父母はもちろんもうこの世にはいなくて、彼らの家もなくなり、あの自然溢れる風景を目にすることはないんだろうなと思うと、少し寂しくなる。

 だけど、祖父母が私に与えてくれた愛情はずーっと私の中に残っていて、時折彼らとの思い出に浸ることがある。

 家族を尊重し、大事にすることを私は祖父母から学んだ。
同じように、私も夫や息子たちを尊重し、大事にしたい。そう思いながら、毎日を過ごしている。

 


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