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縄文海進と古神道、神社、天皇制(21)弥生小海退

縄文海進ばかりに気を取られていた。

6,900年前の縄文海進以後、「海進(海面上昇)」だけではなく、「海退(海面下降)」もあったのである。縄文海進の頃、現代の海水面よりも3メートル前後高い水面(現在の沿岸部は海面下)だったのが、2,000年前頃、「弥生小海退」が起こり、現在よりも海面は約2メートル低下(現在の沿岸部よりも沖合まで陸地)していた。つまり、縄文海進から5メートル海面が下降したのである。2,000年前頃と言えば、卑弥呼の日食(西暦247年、248年)が起こった頃だ。

◯ 地球の平均気温の推移

弥生小海退

◯ 縄文海進

縄文海進は6,900~5,000年前までは、海面の動きに大きい変動はなく、現代の海水面よりも3メートル前後高い水面をもった時期がはぼ2,000年間は続いた。その後は、1~2メートル程度の変動を数回くりかえしながら、現在の高さに落ちつくようになる。

仏教

◯ 弥生小海退

特に、2,000年前頃(キリスト誕生の頃)は、現在よりも海面は約2メートル低下していたと思われる。この時期を「弥生小海退」といい、ヨーロッパでは「ローマ小海退」と呼んでいる。

1,200年前頃(日本の奈良時代初期)の海水面は、現在の海水面より約1メートル低かった。この時期を「平安海進」と呼ぶ。「弥生小海退」の頃よりも1メートル回水面が上昇した。(とはいえ現在よりも1メートル低かったが)

1,000年前頃(日本の平安時代後期)には現在の海水面まで上昇した。900年前頃(11世紀前半)には現在の海水面より約50センチメートル低くなった800年前頃(12世紀初頭、鎌倉時代)に現在の海水面より約50センチメートル高くなった

それから、現在の高さに海面が回復してきた過程については定説がない。除々に高さを増してきたのか、あるいは小さい振幅の上下の動きをくりかえす過程で今の高さに落ちついたかは、定かではない。

吉野ヶ里遺跡と縄文海進時の海岸線3

◯ 吉野ヶ里遺跡周辺の海岸線の推移

上図は、佐賀駅と吉野ヶ里遺跡(縄文時代後期から弥生時代の大規模な環濠集落/環壕集落跡)周辺の海岸線である。縄文時代は、縄文海進の影響で、海岸線が現在の内陸部十キロほどまで後退している。

それが弥生時代には海面下降が起こって江戸時代の海岸線くらいに迫っているが、ニ千年前の「弥生小海退」の頃は、海岸線は現在の海岸線よりももっと沖合まで後退していたということだ。

これが何を意味するかというと、吉野ヶ里遺跡の住民は、縄文時代にはほぼ海岸に位置しており、遺跡周辺で港を構え、中国の江南地方や山東半島と交易していたのが、卑弥呼の時代では、遺跡から十数キロ先に港を構えなければいけなかったということになる。つまり、縄文時代以降、吉野ヶ里遺跡の住人は数千年間海に近い交易地だったのが、ニ千年前頃は海面が下降したので、適地ではなくなったということになる。

吉野ヶ里遺跡と縄文海進時の海岸線4

上図は、国土地理院の地図に縄文海進の頃の標高をプロットしたものだ。

◯ 吉野ヶ里遺跡が邪馬台国の首都だったらどうなんだろう?

なぜ吉野ヶ里遺跡の頃の海岸線が気になるかと言うと、これから述べる話は私の想像の産物で根拠などないのだが、吉野ヶ里遺跡が邪馬台国の首都だったらどうなんだろう?ということを考えたのだ。

卑弥呼の頃の九州には、確実に存在した伊都(いと)国(現、福岡県糸島市、福岡市西区付近か)があり、この時代の国は、人口数千人規模のもので、北部九州だけでも三十を上回る国(というかムラ)があった。

これら三十を上回る国(というかムラ)を統べるのが、吉野ヶ里に首都を置く邪馬台国連合であったらどうなのか?ということだ。北部九州には、別の勢力である男の王である卑弥弓呼(ひみここ)率いる狗奴(くな)国の勢力もあって、邪馬台国連合と覇権をめぐって戦っていた。

当時の戦いに不可欠なのが、鉄製の武器。国産品はまだまだ産出量も少なく、出雲の国という遠隔地にあった。だから、鉄製の武器は、中国から輸入しないとならない。そこで、中国から輸入する交易地の港はどこだったのか、が気になるのだ。

◯ 邪馬台国の卑弥呼が巫女の王

また、北部九州では、弥生時代の半ば(紀元前2世紀末~紀元前1世紀前半)頃より、高い社会的地位をもった巫女(みこ)が現われていた。強い霊能力を持つと認められたシャーマンである。

福岡県糸島市の三雲遺跡(紀元前1世紀末頃)からは男性と女性の墓が発見されたが、これは夫婦ではなく、国を支配した男王と巫女王の墓であることがわかった。男王が世俗的権威、巫女王が宗教的権威という二重の政治形態が用いられ、魏志倭人伝に記述のある邪馬台国の卑弥呼が巫女の王、政務を司るのが弟という話に当てはまる。

◯ 利根川低地における「弥生の小海退」の検証(PDF)

◯ 東京低地における「弥生の小海退」の発見(PDF)


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