A piece of rum raisin 第7話 殺害(7)
第 7 話 第二ユニバース:殺害(7)
1985年12月12日(木)
ケネディ国際空港に着いたのは午後6時だった。まだ夏時間になっていないので、時差14時間、飛行時間もほぼ14時間。つまり、12日の18時に成田を出れば、12日の18時にニューヨークに着く、ということだ。11日にビザの手配、チケットの手配をすませた。パスポートは会社の指示で作らされていた。海外で何かあると応援に行かないといけない、ということで。
月曜日は、銀行に行って日本円を50万円ほどおろした。それをドルのトラベラーズチェック30万円相当とキャッシュ20万円相当に換えた。だいたい、クレジットカードで済むだろう。(財閥系の会社のいいところは、三井銀行のビザカードが入社当初からゴールドカードであることだ。限度額は300万円。足りるだろう)現場の太田所長に連絡して、宿泊先とホテルの電話番号を伝えた。同じ内容をFAXした。
家に戻り、荷造りをする。別段持って行くものはない。下着と靴下とシャツ、地味なスーツ、洗面用具だけだ。足りなければ向こうで買えばいい。どたばたしているうちに家族が帰ってくる。事情を話して、明日からニューヨークに行く、会社には連絡してある、向こうの連絡先はここだ、と両親と妹に説明した。いつも滅茶苦茶なことをやる僕だからたいがいのことは驚かないが、さすがに、目を丸くして聞いている。妹が「絵美さん、お気の毒に」と言った。僕は「あいつを連れて帰ってこなくちゃいけないんだ」と考えなしに答えた。そう、たとえ遺体であっても。
無理に寝た。簡単だ。ブランディーをハーフボトル、ラッパ飲みにすれば眠れる。夢も何も見なかった。それで、翌日、不思議なことに、パッチリと朝6時に目が覚めた。二日酔いも何もないのだ。朝食をガフガフと突っ込んだ。体力をつけないといけない。もちろん、シュワルツネッガーのように生卵を5個丸呑みにするなんてことはしない。
絵美のお父さんのお見舞いに行きたかったが時間がない。そこら中に電話をかけた。メグミにも真理子にもかけておいた。みんなあまり喋らなかった。「・・・こういうわけだ。とにかく、少なくとも1週間は向こうに行っている。日本に戻ったら連絡する」と手短に伝えた。「気をつけてね」とみんな言った。「大丈夫だ、今のところは。じゃあ」と電話を切った。たぶん、絵美のお母さんのことだから、名簿などは持って行っているだろう、向こうから手配が出来るように。絵美の方の連絡はニューヨークからすればいい。
何もすることがなく、僕は猫の頭をなでながら、ボケッとして、お茶をガブガブ飲み続けた。そうするうちに、昼が過ぎ、午後1時になり、どうせこのまま家にいてもしょうがない、と思って、スーツケースを持って、タクシーを拾い、YCATまで行って、リムジンに乗った。多少込んでいたが、それでも成田には3時についてしまった。さっさとチェックインして、ウェイティングラウンジでいらいらして待った。免税店でウィスキーを買った。
搭乗が始まり、席に座って、もう何も考えないで毛布をひっかぶって寝てしまった。あまり食欲もなく、酒をもらっては眠り、酒をもらっては眠ってばかりだった。
ケネディ国際空港では、イミグレがご旅行の目的は?と訊くので、「観光」と答えておいた。ご宿泊先は?というので、「ペニンシュラ」とつっけんどんに答えた。そう、まだ1985年なのだ。僕は英語がそれほど話せなかったのだ。
空港の到着ロビーを抜けると、そこに黒のトレンチコートのポケットに手を突っ込んで立っている洋子がいた。「待っていたわ」と洋子が言った。
僕はスーツケースを抱え上げて走り寄った。彼女の前に突っ立って、「洋子、来てくれてありがとう」と僕は言った。洋子は、僕の肩に手をおいて、僕の目をしっかり見て、「私は、一昨日の午前中に着いたの。時差でぼけているわ。でも、フランクよりもマシかな?絵美さんのママは昨日の午後3時についたわ。今はホテルで休まれている。睡眠薬をホテル付きのドクターに処方してもらったの。私よりも時差がキツいし、なによりこの状況だから。レンタカーを借りておいたわ」と、ゆっくりと言った。「さ、ホテルに行きましょう」と歩き出した。「パーキングエリアまで歩くのよ。数分よ」と言う。
洋子の借りた車は、キャデラックの1982年型フリートウッドだった。まだ、アメ車がダウンサイジングをする前の最後の世代だった。トランクにスーツケースを放り込み、右座席に座る。洋子はドアを閉めると、エンジンをかけ、ヒーターのスイッチを入れた。エンジンをちょっと暖め、すぐ車を出した。相当に乱暴な運転だった。「慣れているのよ、学会で来るからね」と、洋子は言う。グランドセントラルパークウェイをたどっていく。「それでね」と洋子が説明した。
「NYPDが日本のニューヨーク総領事館に連絡をしたの。12月7日、つまり事件が起きて絵美さんが死亡した日は土曜日だったから、総領事館は、外務省にはFAXを送って、直接森さんの家に電話をかけたということ。本来なら外務省から連絡が行くんでしょうけどね。曜日の問題よ」
「・・・」僕は黙って聞いていた。
「この連絡があったのが7日の午後7時。死亡時刻は、7日の午前11時。まだ日が明るいときだったのね。即死よ。本人がパスポートを所持していて、パスポートのファイナルページに自宅住所、電話番号が記載されていたから、スムーズに本人の特定ができたということ」洋子が運転しながら、僕の方をチラッと見る。
「聞いてるよ、大丈夫だよ、続けて」
「日本国内で死亡届を提出するときには、死亡証明書、この場合は検屍報告書が必要なの。検屍はニューヨークのモルグで行われた。刑事事件だから当日7日午後2時に行われたわ。検屍報告書は作成されていて、NYPDに回された。検屍報告書はNYPDから総領事館に回される。総領事館で翻訳してくれるはず。日本って変ね?何でも日本語だから、死亡証明書も和訳しないといけない。和訳が間違っていたらどうするつもりなのかな?遺体証明書も必要で、これは総領事館が発行してくれる」
「わかった。検屍報告書、総領事館、和訳文書、遺体証明書、わかった。それから?」
「NYPDがこっちの葬儀社を紹介してくれたの。絵美さんのママは速やかに日本に遺体を空輸して、葬儀は日本で行いたい、こちらで荼毘に付したくないと言われているわ。棺とか見に行かないとね。日本では使い物にならないから、日本では棺を交換しないと。棺は空輸用というのがあって、軽いのよ。アルミ製。パンナムに訊いたら、エンバーミング、つまり、遺体保存処置をしないとダメだそうなのよ。だから、葬儀社で血液を抜き取って、遺体保存用の輸液を注入するの。その遺体保存処置を行ったという証明書も必要ね。これはパンナムに提出する。パンナムは、航空荷物運送状を発行してくれる。それから、遺体を棺に納めたら、総領事館が確認して、赤い封蝋をしてくれるわ。通関手続きが簡単になるのよ」
「あとでメモしておくよ、続けて」
「日本国内では、森家から葬儀社に連絡をとって、成田まで遺体を受け取りに来てもらわないといけない。ママが言うには、家の葬儀社があるそうだから、そちらに連絡する必要がある。あらかたの葬儀の段取りなどは、こちらから指示する必要があるわね。葬儀の日取りなども決めないと」
「お母さんが眠りから覚めたら相談を始めよう。それから?」
「ママは気をしっかり持っているけれど、あなたがサポートしないと国内手配がうまく行かないでしょう。NYPD、こちらの葬儀社、総領事館、パンナムとの連絡、手配は私がやるわ。明彦は、ママのケアをやってちょうだい。それと国内連絡。日本の葬儀社との連絡、絵美さんのパパとの連絡、親戚関連の連絡、交友関係への連絡、そうそう、大学にも連絡しないと。院からの一時留学という形で来ていたそうね?だから、大学院、指導教授にも連絡する必要があるわ」
「僕が出来るのはその分担だな。洋子の方が面倒だ。でも、出来るだけ僕も一緒に連れて行って欲しい。僕の分担に支障がなければ・・・」
「一緒に行かないと気が済まないものね。気持ちはわかるわ。それから、NYPDが本人確認の必要がある、と言っている。私は担当刑事に、私は確認できない、本人の母親がこちらに到着しているが、心労でまいっていて、今日は出来ない。本人の友人が12日の午後遅く到着するので、母親と彼、つまり、あなたが13日にNYPDに出頭して、一緒にモルグに行く。それで本人確認をする、と打ち合わせてある。だから、これからホテルにチェックインして、明彦の時差ぼけを治して、明日の朝早く朝食をすませて、NYPDに9時半に行く、という予定よ。ざっと、こんなところよ。辛い、キツいでしょうけれど、明彦の感情は後で自分で整理することね。まずは、やることをこなして、ママのケアをしないといけないわ。」
「了解。僕の時差ぼけなど気にしないでいい。ずっと眠っていたから、時差ぼけなんかないんだ。洋子、ありがとう。だけど、洋子、ここまでなぜしてくれるんだ?キミと絵美はそれほどの関係はなかったろう?」
「バカね、キミは。私に絵美さんと同じことが起こったら、そして、もしも、絵美さんが明彦の私に対する思いを知っていたなら、彼女は私と同じことをしたはずよね?こういうことは私にはうまく出来る。これは事実として言っているの。そして、彼女も私と同じようにやったでしょうね。それが理由よ」と、洋子はこう言った。
明彦の私に対する思い。僕の洋子に対する思い。洋子は、僕の絵美に対する思いは知っている・・・僕の絵美に対する思い・・・混乱している。僕の洋子に対する思いってなんだ?じゃあ、僕の絵美に対する思いって何だ?・・・え?同じものだったのか?同じ思いを僕は二人に持っていたのか?
「僕の絵美に対する思いと、僕の洋子に対する思いは、同質で同じものだったのか、洋子?」
「今頃気付いたの?バカモノ!・・・まあ、いいわよ。あとでゆっくり考えて。でも、いまはしっかりして、明彦!」
或いは、僕に同じようなことが起こっても、彼女たち2人は同じことをしたはずだ。なぜそう確信があるのかよくわからない。だが、僕と彼女たちはそうなのだ。当時、僕も絵美も27才で、洋子は34才だったが、洋子に同じことが起こったら、絵美はNYPDに飛んでいって、同じようなレベルのことをしたと思う。
むろん、洋子は、私はモンペリエの法学部の助教授で、IDはこれ。私は森家のこちらの弁護士同様と思ってちょうだい!代理人よ。それで、何がどうなっているのか、今、教えるのよ。おわかりかしら?とまくし立てたのだ。
洋子の得意なことのひとつは、あれだけ知的で思いやりのある優しい女性なのに、必要であれば、「お黙り!」「お下がり!」「お教えなさい!」が、たとえ相手が大統領であっても出来たことだ。洋子は、私の彼女の中で、本当に最強の女性の一人だった。ベッドの上だけじゃない。
洋子はペニンシュラの前に車を乗り付けた。トランクを開けた。ベルボーイが僕のスーツケースを受け取った。洋子は車のキーを配車係に預けて、チップをやった。
「さ、明彦、チェックインして、ママの様子を見に行こう」と、洋子は言った。
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