郷に従う為に、郷に入れ。

初めての投稿になる。
いよいよ始まった2021年、みんなは
"ああしたい"、"こうしたい"を抱き抱えて
スタート出来ただろうか。

普段から工場の生産ラインかのように淡々と曲を作ってる僕ですが、僕ですら、今年は少しずつでもいいから、こういった形で自分の考えを表に出していこうかなぁと思っていたり。

と、いうのも。

snsで自分を発信する様々な術がワンタッチ簡単インストールで手に入る今の時代、曲を作って誰かに届けと祈っているよりも先にその術に須く潔く手を出して発信の枠を広めればいいんだろうけど、兎にも角にも、
僕にはそれが性に合わない。

もちろん発信したくてアンテナの先っちょでジリジリいってる気持ちはあるのだけれど、

140文字だと伝えきれないし、キレもない。
いちいち洒落た写真を撮るのも面倒くさい。
60秒の動画でこの感情をユニークに表現することなんて当然まるで敵わない。

これはつまりその手段各々を揶揄してる訳では無く、手段はあっても算段がなければ意味がないという意味で。泳ぐなら海、川、プール、何処がいい?なんて言われても、泳げなければ話にならないのだ。

じゃあ泳ぎ方を練習する?
そろそろ訓練始めよっか??

否。

そんなの非常に億劫だ。
去年に引き続き、
今年もちゃんと僕は面倒くさがり屋だ。

じゃあ今書き綴ってるこれは何なのよ。
って事だけれど、これはつまり
"郷に入れば郷に従え"なんて教えの応用編で、

"郷に従う為に、郷に入れ"だ。

要約すると、
泳げないなら徒競走頑張ればいい。
に近しいニュアンス。

是非とも全世界のナマケモノ委員会を代弁して伝えたいことだけど、面倒くさがりは実は面倒見が良いのだ。(たぶん)

ここからは超絶合理化タイムだったりするのかも知れないが、少し付き合って欲しい。

面倒くさく感じるのは、その先どういう事が起きてどうなっていくのかを予想できるからだ。何も考えず突っ走れる人は、それはそれで一つの才能だけれど、人間だって一つの消耗品。
少しでも楽をしたい。

ならば面倒は、
見たいとこで見たっていいじゃん素敵じゃん!
なんて、、。つまり僕に必要なのは、面倒くさがらず努力する事でも、出来ない事を無理してやる事でもない。手段と算段を一致させて、それを実行することだ。

手段と算段を得ている者、
賢い人。

手段を得ていても算段が得られない者、
迷い人。

算段を得ていても手段を得られない者、
天才すぎた人。

手段も算段も知らず知らずに得ている者、
ラッキーマン。

そして手段も算段も得られない者、
死人。

この中で、これから手段と算段を一致させる作業に入るべきなのは迷い人だけだ。そしてしっかりちゃっかり僕もここに該当する。
まぁ、タイムマシンとかタイムリープ能力があるなら天才すぎた人もどうにかこうにか動くべきなのかもわからないけれど、そういうメルヘンは置いといて。

そして、さっきの話にもどってくる。
手段を得ていても算段が得られないーー。
つまり郷に入っても郷に従えない者は、

プールに入っても泳げない人は、
水泳の時間ズル休みしちゃえばいい。

その代わりと言っては何だけれど、
得意の徒競走で1位になる努力は惜しまない。

解釈は自由すぎるが故に誤解を招くから、あえての表現にはなるが、結局それは"努力"なんて言葉じゃ表しきれない、もっと美しい、現時点でこの世界に言葉として存在し無い"頑張り"みたいなものになってくるんだろう。

そしてそれが仮に、結果として"郷に従う"という事ならばそれを先行して、後付けで自分の居場所を探してもバチは当たらないんじゃないか。という脱迷宮案。

それを僕はこの場を借りて、
実際に文字を綴り想う。

曲を作る事は本当に楽しい。大好きだ。
飽き性で面倒くさがりの自分でも、もう何年もそれだけは続けて来れた。

ある意味、
僕は既にラッキーマンの称号を与えられていたのかもしれない。けれど新年を迎えて、"ああしたい"、"こうしたい"が見つからなかった味気ない今、僕は面倒くさがりなりにもう一つ、二つと足掻く必要がある。

だから、何年も一緒にそばにいてくれたこのラッキーをもっと沢山の人と共有する為に、
これからは自分の考えを文字に起こしていこうと思う。少しずつでも。

"郷に従う為に、郷に入れ"
この実に捻くれた僕らしい精神を新規加入させて今年も淡々と曲を作っていこうと思う。

もうすぐ新曲も上がるので、
楽しみに待っていて下さい。

ここまで見てくれてありがとう。

ビートシー

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