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「考える」ってどういうこと?

教室をはじめたばかりの頃、わたしは子どもたちによく「考えてみよう」という声がけをしていました。

ところが、あるときそう言ったら、PCにじーっと向かって動かなくなる子を見たのですね。数分間ずっとPCを眺めてフリーズしたような状態の子に、「どうした?」と声をかけたら、どっと疲れたような顔をして、絞り出すように「わかんない…」と言われてしまいました。

結局この子は「考えろ」と言われて何をしたかというと、じっとPCの画面を見つめて、まるで瞑想してるかのように、何かが「ひらめく」とか「答えが降ってくる」のを待ってたわけですね。この子にとっては、これが「考える」ということだったのでしょう。でも、これでは「考える」ことは出来てないですね。

そのとき、思ったのです。彼に限らず、子どもたちって「考える」ということの経験って、とても少ないんじゃないかと。だから「考えて」と言われても、どうすれば良いのか全くわからないのではないかと。

無理もないと思います。そもそも、小学校の勉強で「考える」というのは、それほど重視されていないのが現実です。算数にしたって、2年生の九九など、暗記の最たるものですよね。もちろん、この段階で九九を暗記することは大事な意味があると思ってます。でも、このとき、「速く正確に暗記できた」子が、優等生、ひいては「算数ができる」と目されることが多いわけなんです。

ですから、みんな二年生になると、必死に九九を暗記するのですね。そして、これが暗記できると、次に3年生のわり算につながるわけです。そして、小数、分数の計算に進んでも、結局「計算」というのは、パターン認識をどれだけ高速、正確に実行できるかということであり、それほど「考える」ということとは関係ないのだと思うのです。

算数以外でも、国語では、漢字をたくさん(しかも筆順まで)覚えなければなりません。慣用句やことわざなども、基本暗記がベースになるわけです。理科、社会でも同じですよね。常に「覚える」ことが優先されて、子どもたちは、それをテストで試される。なかなか「考える」ということを学校では教わらないし、それを求められることもあまりないのではないでしょうか。

かつて評判が悪かった「ゆとり教育」というのは、「知識を覚える」ことよりも「考える体験をとり入れる」という目標があったと理解していますが、それが円周率を「およそ3」とかやってしまったために、学力低下につながる等と批判されて撤回にまで行ってしまったのは皆さんご存じの通りです。でも、「総合学習」のようなテーマの与え方は、やはり「暗記」よりも「考える事」を重視した方向性なのは間違いないと思うのですが、それにしてもやはり子どもたちにそもそも「考える」ってどういうことをすれば良いのかというのを理解させるには、なかなか道のりがあるように思います。

そこで「プログラミング」だと思うのです。

わたしは、プログラミングこそ、ものを考える体験につながる一番手っ取り早い方法ではないかと考えています。つまり、プログラミングをやってみる、理解しようとすることの中にたっぷりと「考える」という行為が含まれるのだと思うのです。

これが、わたしが小学生のうちにプログラミングをやっておいた方が良いと考える一番の理由です。

すべての子どもたちが、将来プログラマーになるわけではありません。また、高校に入ると、情報 I という教科が必修となり、センター試験受験時に必須になるとか、来るべきAI社会にプログラムくらい分かってないと….とかは、正直全く気にしてないのです。それよりも、小学生のうちに、プログラミングを通じて「考える」ということを経験しておくことが、その後の人生のあらゆる事柄に良い効果があると信じているためです。

で、冒頭の「ただPCを見つめてフリーズする」子を見て以来、わたしは教室で「考えてごらん」と言うことを辞めました。今はたいてい「やってごらん」「試してごらん」みたいな言い方をします。結局プログラムの理屈を理解して、課題や自分のやりたいことを実現するためにプログラムを作っていくというのは、そもそもが試行錯誤であり、そこで得た結果を見て、バグがあれば「どこにバグがあるかを見つける」このような行為全てが「考える」行為だと思うからです。だから言葉としては「考える」ではなく「やってみる」で良いのだと思うのです。

ところが、「考える」ことが苦手な子どもたちは、なかなか手強いんです。そうすると、だいたいが次には「答え教えてくれー」と言い出すのですね。ここでも、答えを教えてもらうまでは、テコでも動かないというか、その段階でもう集中力が切れてしまって放浪してしまう子は案外います。まずは、自分の手を動かして、「やってみる」という一歩を踏み出すのが難しいケースですが、こういう子にだって、何か「やってみる」経験をさせられるのも、プログラミングだからこそと思っているわけです。