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THE ROOTS〜人気DJのルーツを辿る〜【DJ MA$Aさん編】

さー やって来ました新企画!!
「THE ROOTS〜人気DJのルーツを辿る〜」!!

最近若いDJと話していると「どうやったらDJで食べていけるんですか?」「DJ〇〇さんみたいになるにはどうしたら良いですか?」とか聞かれる時がよくあります。

「ササさんみたいになりたいです!」って言ってくる若い子がいない事が気にならなくもなくもないですが、そんな若い人のためになればと新企画をスタートさせます!
人気DJのルーツや今のようにシーンの第一線に立つまでの過程を聞いて成功のカギを探ろうという企画です。
これは若いDJだけに限らず、他の業種の方にもためになる&面白い内容になってると思うので、是非皆さん拡散をお願いします。

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さて今回インタビューさせて頂くのは、東京のクラブやレストランを中心に出演し、CREAMのバックDJとしても活動しているDJ MA$A a.k.a HAPPYさん。
心良くインタビューに応じてくれて、気になる事をなんでも答えてくれました。なんと今までの最高月収までも。。(ドキドキ)

MA$Aさんと僕は多分もう6.7年くらいの付き合いで、初めて会った頃(MA$Aさんがデビューしたて)から、他の若い人にはない勢いみたいな物を感じていました。誰よりもストイックに自分の立ち位置、見せ方を良くしていこうと若い時から頑張ってた印象です。
僕がCAMELOTの専属DJをやってる時にMA$Aさんが入ってきて、4.5年一緒に同じフロアでDJをしていました。
一緒にイベントも打ったりとなかなか濃厚な関係でしたが、インタビュー中に一切僕の名前が出てこなかったので、もっと存在感を発揮出来るように頑張らないとな思いました。

さっ 切り替えて行きましょう!MA$Aさんのインタビュースタートです!

陽と隠

ーー ではまずはマサさんの音楽のルーツについてお話を伺いたいと思います。DJ始める前はどういう音楽をよく聞いていたんですか?

MA$A a.k.a HAPPYさん(以下 MA$A) 学生時代は基本的にはEDMをよく聞いてましたね。YoutubeでMartin GarrixとかHardwellとかをめっちゃ聞いてました。あと学生時代にハーフ会に入ってたんですけど、ハーフの友達からFetty Wapとか当時流行ってたラッパーとかを教えてもらったりしてそこからHIPHOPもちょっと聞いたりしてました。

ーー あ、なんかMA$Aさんと会った頃やたらFetty Wapかけてるイメージがありました(笑)

MA$A そうですね、Trap Queenをひたすらかけてましたね(笑)

ーー じゃあULTARAとかフェスを見たキッカケでDJに憧れた感じですか?

MA$A Youtubeでフェスを見て、DJっていうものを初めて知りました。その後ハーフ会のメンバーでピクニックをしている時に、一人の女の子が「マサ、なんか曲かけてよ〜!」って言ってくれて、ずーっとかけてたんですよ。
僕はEDMが好きだったんですけど、みんなが好きな曲が良いかなって思ってBruno MarsとかAriana Grandeとか選んでかけてたんですよ。でその中に自分が好きなEDMとかも挟んだりして。
Axwell Λ Ingrossoとかもよくかけてましたね。それでみんなが盛り上がってくれてる時に一人の女の子が「マサ選曲良いからDJ始めればいいじゃん」って言ってくれたんですよね。
そこからDJなりたいって気持ちがちょっと出てきて、バイトで溜めてたお金でDJ機材買いました。

ーー マサさんの運命を変えた女性の存在がそこにあったんですね。
そこから家で練習していって、初めて回したクラブはどこだったんですか?

MA$A 初めてやったクラブは六本木のSEVEN SENSE(現 7TOKYO)でしたね。夕方から開催した身内のデイイベントです。
当時まだ高校3年生です。でまだ誰にも言ってないんですけど、その時、人前でちゃんと回せるか不安で自信がなかったので、家で自分のDJを録音して、それをかけてDJやってるフリしました(笑)
何も聞こえてないヘッドフォンを聞いてるふりとかして(笑)

ーー あらま(笑)お客さんにはバレなかったんですか??

MA$A みんな「最高だったよ〜」って言ってくれましたね(笑)

ーー 初めて遊びに行ったクラブはどこだったんですか?

MA$A 六本木のCat's TOKYO(現在閉店)でしたね。その時初めてクラブDJを生で見て、MIXかけてDJやってるふりしてた自分が恥ずかしくなりました(笑)

ーー しばらくはデイイベント中心にDJしてたんですか?

MA$A そうですね、ハーフ会のメンバーがBRAND TOKYO(現在閉店)でもイベントやったりしてたので、そこでも回してました。

ーー ナイトクラブでのDJデビューはどこだったんですか?

MA$A 六本木のFERIA(現在閉店)ですね。当時クラブの機材がよくわかってなかったんで、自分のコントローラーを持ち込んでDJしてたんですけど、PAさんにすっごい嫌な顔されたのが印象的です(笑)

Feria Tokyo
六本木にあった伝説のクラブの一つ。インターナショナルでラグジュアリーなスペースと幅広いワールドワイドなコミュニティーを提供する素敵空間でまるで海外のクラブに遊びに行った時のような感覚になりました。
キャパは1000人程で地下1階から4階までの5つの異なったフロアを楽しめました。

ーー Feriaがデビューだったんですね。その時、Feria全盛期だったんじゃないですか?

MA$A 外国人のお客さんで溢れ返っていて、めっちゃ盛り上がってましたね。当時まだ18,19歳だったんですけど、修行の身(お酒はもちろんNG)として見習いみたいな感じで入れさせてもらいました。

ーー Feriaで下積み時代を過ごしていった訳ですね。DJ教えてくれたのは誰だったんですか?

MA$A 当時FeriaでチーフDJをやっていたYOSHIさんですね。

DJ YOSHI
1997年から2009年までの12年間単身でアメリカへ渡米をしChicago, St. Louis,Hawaii, Kansas, Miami, Atlantic city, LA & San Franciscoなど数々の海外のCLUBでDJ経験を積み帰国後は、2009年から2015年まで六本木Feria TokyoでChief Djとして活動。都内の各有名クラブでのゲスト出演はもちろん、世界的有名なアーティストや映画俳優のプライベートパーティでDJを任されるなど、海外経験豊富なDJの一人。

出典 Event Searchさん

ーー 当時めっちゃYOSHIさんが怖い時代だったんじゃないですか?(笑)

MA$A よく酔っ払って暴れてましたけど(笑)僕は可愛がってもらいましたね

ーー 当時のFeriaは他は誰が回してたんですか?

MA$A メインフロアのピークタイムは基本的にYOSHIさんとNEW YORKから来ているDJで回していましたね。二人で一晩作るみたいな海外スタイルでした。KEKKEさん、Braizeさん、FUJI TRILLさんも別のフロアで回してましたね。

ーー 今思うとすごい豪華なラインナップが揃ってたんですね。Feriaで下積みしてた頃は「将来DJで食ってやるぞ」みたいな気持ちってあったりしたんですか?

MA$A この時は全くなかったですね。とにかく毎日刺激的で楽しいなって感じでした。この時は当然ノーギャラだったし、DJで収入を得るって感覚がなかったですね。

ーー Feriaは閉店するまでDJしてたんですか?

MA$A はい、1年ちょっと位お世話になりましたね。Feriaで働いてた人で後にCAMELOTのプロデューサーになったWさんという方がいるんですけど、その人に突然「DJで食っていきたいの?」って聞かれたんです。
思わず「はい!」って答えたら後日いきなり電話かかって来て、「金曜日って空いてる?マサ、キャメロットでDJしちゃいなよ」って言われて、この時も二つ返事で「はい!」って答えたらCAMELOTにレギュラーで出る事が決まって、ここからギャラがもらえるようになりました。金曜日のCAMELOTのB2で開催してたBLACK JACKってイベントですね。

毎週金曜日にCAMELOTのB2 FLOORで開催していたHIPHOPイベント。
BANJOさん、SHIGEKIさんがレジデントを務め、多くのゲストを招いて開催していました。

MA$A そこから土曜日もB2で回させてもらう事になって、チーフDJのTAKUMAさんとかレジデントDJの中に混ざってやらせてもらってたんですけど、HIPHOPをひたすらかけてたらTAKUMAさんに「HIPHOPしか出来ないな辞めて良いよ」って言われて、そこから悔しくてALL MIXも勉強しました。POPSとかめっちゃ掘りましたね。

ーー なるほど、ALL MIX的なPLAYや選曲はCAMELOTで学んだ感じですね

MA$A そうですね、技術的な事はFeriaで教わって、お客さんを見ながら選曲するっていう感覚はCAMELOTで勉強しました。そこから木曜日のイベントをオーガナイズさせてもらったりとか、火曜も日曜日も回させてもらったりとかで、最終的に週5でキャメロットで回させてもらいましたね。

ーー その時はCAMELOTのレジデントみたいな感じでCAMELOTでしか回さないって感じでしたよね?

MA$A そうですね、レジデントになった訳ではないですけど、僕を育ててくれたWさんが「今はここ1本に絞って立ち位置とか価値を上げてった方がマサのためになるよ」って言ってくれたので、その通りにしてましたね。

ーー CAMELOTしか回さない期間が結構長かったですよね??

MA$A そうですね、なんだかんだで5年くらいお世話になりましたね。最後の方が他の店でも回したりもしてましたけど。

ーー CAMELOT時代に憧れたDJとかいたりしましたか?

MA$A ゲストDJとして不定期で出演していたKEKKEさんBraizeさんですね。今の僕のスタイルはこの二人にかなり影響受けていると思います。

ーー CREAMのバックDJをやり始めたのもCAMELOTにいた頃だと思うのですが、どういうキッカケだったんですか?

MA$A 最初は「外タレじゃないよ」って曲とかテラスハウスとかで話題になったWEZ君のBACK DJをたまにやったりしてたんですけど、そのLIVEの時にJOYSTIKK君とかスタ君(Staxx Tさん、CREAMのメンバーの一人)とかサイドキックで入ったりしてたんですよね。そこからスタ君とは飲み友達みたいな感じだったんですけど、ある時にスタ君がマネージャーに「マサをバックDJにしたい」ってプッシュしてくれて。それがキッカケです。自分が22歳くらいの時ですね。

ーー 最初は飲み友達からスタートだったんですね。

MA$A はい、今だから言えるけど、その時はCREAMもしっかり認知してなくて、タトゥーめっちゃ入ってるお兄さんって感じでした(笑)日本のアーティストの曲もあんまり聞いていなかったので。

ーー 今みたいにJ-RAPとか日本語の曲があんまりクラブで流れてなかった頃ですもんね。BACK DJって絶対にミスれないし、ファンもいっぱいかけつけてるし、めっちゃ緊張すると思うんですけど、なんかやらかしちゃったエピソードとかないですか?

MA$A それが意外とないんですよ。

ーー 残念(冗談)
本番に強いんですね。バックDJの時に意識してる事ってありますか?

MA$A やっぱり音量とかけるタイミングですね。音量でいうとリハで音量合わせても、お客さんがいっぱい入ってる状態だと聞こえ方が変わるし、前のDJが設定変えてたりしてる事があるので、そこは常に注意してますね。かけるタイミングは阿吽の呼吸で感じ取りながらって感じですね。もちろん、リハである程度合わせますが、LIVE中はMCとか入ったりとかでタイミング変わる事があるので、常に流すタイミングを探ってますね。

ーー リハではMCするタイミングとか細かく決めたりしないんですね。

MA$A 「ここでMC挟むよ」とかは事前に話したりしますけど、基本的にはノリですね。

ーー 緊張しちゃいそうですね(ドキドキ)

MA$A 早く曲をかけ過ぎて「ちょっと待てーい」みたいなのはありますけど、それはそれで盛り上がったりしますね。もちろん緊張はしますけど、楽しみながら出来ています。

ーー ではここからCAMELOTを1回抜けてからの話ですね。CAMELOTを抜けたタイミングがMA$Aさんにとって、大きな転機だったと思うのですが、CAMELOTを抜けるキッカケはなんだったんですか?

MA$A 僕を育ててくれたWさんがCAMELOTをやめてVIZELに移る事になったので、僕も一緒にVIZELに行きました。コロナのちょっと前だったと思います。VIZELは週3くらいでやらせてもらってましたね。このタイミングから他のクラブでも回すようになりました。よくお世話になっていたのはCELAVIです。1年くらいVIZELでお世話になったんですが、その間にコロナ禍に入ってクラブの現場はほとんどなくなりましたね。その時に新たにお話を頂いたのが、グローバルダイニング系列のレストランのDJです。他の飲食店が全て閉まってる時もここだけはずっと営業していて、コロナ全盛期の時にかなり救われました。このレストランでのDJは今でもやらせてもらってます。もうかれこれ2年半くらい経ちますかね。

ーーこのタイミングからレストランでのDJでの活動もスタートしたんですね。
このレストランでのDJなんですけど、最初は沢山のDJがブッキングされて関わってたと思うんですけど、合わなくて抜けたりで残っているDJがかなり少ない印象なのですが、ずばりMA$Aさんが生き残れた秘訣はなんだと思いますか?

MA$A とにかく顔覚えてもらうのが大事。
スタッフさんとか幹部の方とかに自分から絡みにいって、コミニケーションを取るようにしてました。もちろん、自分が覚えてもらうためには相手の名前も覚えないといけないので、スタッフの名前も全員覚えるようにしてましたね。
Feriaの時もそうだったんですが、奨学金を叩いてまで先輩達と乾杯したりしてたんですが、やっぱり仕事を取る上で顔を覚えてもらうっていうのは大事だと思います。
もちろん顔覚えてるもらうだけで実力が伴ってなかったらダメなんで、DJは毎回結果を残す、お客さんを見ながら毎回楽しませる、お客さんが求めてこと以上のことをやるっていうのを徹底していたら残る事が出来ましたね。
これはレストランだけに限らずクラブでも一緒だと思います。

ーー ここからはちょっといやらしい話、、お金の話も聞いていきたいと思ってるんですが、良いですか?

MA$A いいですよ(即答)

ーー まずマサさんは大学は卒業したんでしたっけ?

MA$A いえ、2年生の時に辞めました。CAMELOTに入った当初ですね。オーガナイズしてる曜日もあって、もうCAMELOTだけ新入社員くらいの給料もらえてたので良いかなと。

ーー バイトしてる時期はいつ頃ですか??

MA$A Feria時代までですね、CAMELOTに入ったと同時にやめました。バイトはずっとアパレルをやってましたね。

ーー CAMELOTに入った21.22歳の頃からもうDJだけで暮らしているんですね。クラブ & CREAMのBACK DJ & レストランと大忙しなMA$Aさんですが、ズバリ!!今までの最高月収はいくらですか?(ニヤリ)

※ここからはマサさんの最高月収と売れるための金言が書いてあります。
売上はマサさんの取材費にも当てさせて頂きます。

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