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vol.2  まごころ

 寝床を確保した私は、さっそく夕食と必要物資の調達のために外に出た。港にはまだ強い風が吹きつけていたが、先ほどより寒いとは感じなかった。日が完全に沈む前のかすかに明るい空の色も見えて、自分の視野が広がるのを感じた。


 夕食の場所は、迷うことなく女将と板前のいる店に行くことに決めていた。お世話になったからには、ささやかなお礼の気持ちとして利用するのが当然だと考えたからだ。店に入ると、女将は何もなかったかのうようにレジカウンターで作業をしていた。「すみません」、という私の呼びかけでようやく気付き、2階の席へと案内された。畳の小さな一室が客席となっており、黒塗りのテーブルとイスが5つほど並んでいた。左奥のテーブルには先客がいて、中年の男女が食事を楽しんでいた。私は反対の右奥の席を選び、彼らの方ではなく掛け軸の見える方に座った。


 メニューを開くと、様々な海鮮料理の写真が上品に並んでいる。ページを後ろに進めて海鮮丼も見てみるが、ふと目の前の掛け軸を眺めると贅沢な料理が食べたい気分になって、ページを前に戻してマグロの刺身定食をいただくことにした。
 注文を終えてぼーっと襖のついた窓の外を眺めていると、「止まる場所見つかりましたか?」と先ほどの板前がわざわざ声をかけに来てくれた。「はい。おかげさまで。」と深々と頭を下げる私を見て、板前も安心した声で「よかった!」といった。「本当にありがとうございました。」と再度お礼を言うと、板前はさわやかな笑顔を見せて一礼し、厨房へと戻っていった。


 それから10分経たないうちに、料理が運ばれてきた。マグロの刺身4種(赤身、中トロ、大トロ、ネギトロ)、双子の小鉢に添えられたマグロの角煮と塩辛、お新香、お味噌汁、そして、温かいご飯。一人暮らしになってからできたての料理を食べる機会が減った私にとって、この食事は最高な贅沢だった。「いただきます。」と手を合わせ、一口ずつ丁寧に頬張る。口の中でとろけるマグロの刺身が私の心をほぐしていくのを感じた。さらに、温かいご飯とお味噌汁が追い打ちをかけてくる。ああ、なんて幸せなんだ。


 腹と心が満たされたところで、私は席を後にした。会計する際に、女将に「泊まるとこ大丈夫だった?」と聞かれ、「はい!」とにへにへしながら財布から現金を取り出した。すると千円札と千円札の間にレシートが挟まっていたことに気が付き、女将と一笑した。


 「お世話になりました。ありがとうございました。」とドアを開けて、名残惜しさに包まれながら、店に別れを告げた。女将の「ありがとうございました。」という言葉に優しさとたくましさを感じた。

続く

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