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vol.4 野良猫

 翌朝、目が覚めたのは確か6時頃だった。連休中に会う約束をしていた会社の同期から断りの連絡が入っていたのには興が冷めたが、私も私で人に会えるような精神状態にまで回復していなかったので、これはこれでいいか、と返事を送った。


 予想以上に早く起きてしまったため、7時半ごろまで二度寝をしてからようやく起き上った。港にそそぐ朝日はまぶしく、窓を開けると風もおだやかで絶好の行楽日和だった。備え付けのケトルに水を入れ、昨日の夜にコンビニで買っておいた味噌汁のパッケージをあける。酒を飲んだ次の日朝は味噌汁を飲むと決めているのだ。優しい味が臓器に染み渡ることを感じるのがとても好きなのである。


 もちろん、突然宿泊を決めたので着替えなどは持っていなかった。昨晩からファブリーズを吹きかけて干して置いた服に再び袖を通す。一人だとその辺を気にしなくていいので楽である。さらに言えば化粧品もアイシャドウ(と言ってもうすいベージュ)しか買っていないので、ほぼすっぴんだ。こういう時だけマスク生活ばんざい、と思える。


 家の近所に散歩しに行くようなラフさで部屋を後にし、チェックアウトを済ませた私は、城ヶ島に向かうために三崎港のバス停へと歩いて行った。昨日の夜には見えなかった港の全体像が明るみになる。港には屋台が立ち並び、これから来る人達のために準備を進めていた。


 午前9時半前ということもあって、城ヶ島へ向かうバスは空いていた。白秋碑前でほとんどの人が降りてしまったため、バスはほぼ貸し切り状態だった。終点、城ヶ島へ降り立つと、早々から家族連れの観光客がバケツやレジャーシートを持って海へ向かって歩いていた。


 城ヶ島へは、2年前くらいに親友と来たこともあり、私はそのときに歩いた道を思い出してそちらの方へと歩みを進めた。何が売りなのかさっぱりわからない土産物店を通過し、展望塔へとつながる階段を上った。空が晴れているおかげで少し上がっただけでも三崎の町が見渡せた。


 草木が生い茂る細い道を抜けていくと、その先に一匹の野良猫が心地よさそうに寝ていた。親友と来た時も猫に遭遇したが、どうやら城ヶ島には野良猫が棲んでいるらしい。その様子をスマホで撮影していた若い女がいたが、私はその猫と触れ合いたいと思ったので、その女が去るのをじっと待っていた。すると私に気づいたその女が、気色悪そうな目で私の方を見て、一緒に来ていた若い男の方へと逃げていった。


 そうして猫に近づく権利を取得した私は、猫の方へとそっと歩み寄った。猫は昼寝をしているため、警戒心などまったくなく、ついに触れることができた。昼前から気持ちよさそうな顔をして寝ている猫がなんだか羨ましく思えた。


 お前は、自分で好きな場所を選んで、好きなように生きているんだよな。どうしたらお前みたいに、自由に生きられるんだろうな。なあ、教えてくれよ。


 猫をなでながらそんなことを考えていると、一人の少女がこちらをじっと見つめていることに気づいた。「猫、好きなの?」と私が声をかけると、「うん。」と言ったので私は手招きして彼女を誘った。彼女は恐る恐る猫に触れ、襲ってこないことを確認するとほっとした表情を見せた。私もその様子を見てほっとした。


 「家族と来たの?」と聞くと、「うん、そう。でも離れてこっちに来ちゃった。」と彼女は答えた。彼女も猫に慣れたようで、楽しそうに肉球を触り始めた。彼女も猫とのふれあいに参加したことで、通りすがりの人たちからの目線が優しくなっていった。子どもの持つ力は偉大だ。


 すると彼女の家族がやってきて、彼女は家族の方へと戻っていった。「じゃあね、ばいばい。」と手を振ると、手を振り返してくれた。彼女は猫のことを家族に楽しそうに話していた。
 そして、猫をじっと眺めているだけの、周りからみたら「おかしい」と思うような私と平気で話せている、彼女の将来が少し楽しみになった。

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