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最後のお弁当

「もう一生お弁当作んなくていいよ。」

高校3年間作り続けていたお弁当はこの言葉と共にある日を境に突然作らなくていいことになった。

お弁当。

え?
もう作らなくていい?
どゆこと、、?

全然飲み込めなかった。

と、言うか最後のお弁当は何を作ろうかと考えていたの。
お弁当を作る最後の日が来たらどうしようかなー?って思っていたの。

ソレガ!

突然終わっちゃった。
何の予告も無しに。

私が作った最後のお弁当は何だっただろうか?

それすら、覚えてないほどの冷蔵庫の中の材料で出来るやつ弁当だったのではないか、、、。

ってゆうか事前に言えよ!

これは最近の出来事の中で最もショックな出来事だった。

ショックすぎて246を泣きながら爆走した。

小学生の頃学童クラブに入っていた息子は夏休みと冬休みはお弁当を持参しなければならず、長い休みの期間はいつもよりも早起きをしてお弁当を作らなければならなかったし、あの小さな箱に詰め詰めにする技やお弁当に向いている食材のことを考えるというのは母親らしいことをしている気分で辛い中にもある種の喜びがあった。

でもまぁ毎日毎日面倒だなぁとは思えど、お弁当が空っぽで帰ってきてくれると嬉しいし、何でもよく食べる我が子の弁当は作り甲斐があった。

その頃のお弁当は2段のおかずとおにぎり、というリクエスト。
おかずを2段分いっぱいにする、というのはなかなかに手間で手間で手間で。
その頃は「作り置き」という概念がなかった為ひっじょーに苦労していた記憶だが、「お前の弁当はいいな。」とか「蒟蒻のアレ美味しいって友達が言ってた。」などと言われるとそりゃそーでしょだって頑張ってやってるもんね~♪
などと内心ガッツポーズで、なんとかやりきった。

そして時はたち、高校生活が始まり再度お弁当生活が始まる。
月曜から金曜までは学校用のお弁当。
土曜日、日曜日、祝日は部活用のお弁当。
コレには参った。
ほぼ、ほぼ2年間は作り続けた。
休みの日は試合なんかが入るととんでもない時間に起きて用意しなければならず、SNSに作ったお弁当をアップして承認欲求を落ち着かせていたなぁ、、、。

第三子がお腹にいたころ、「絶対安静令」が出され体力的にきつかった弁当作りは一時旦那にバトンタッチ。
旦那は旦那でチャーハン弁当を毎日毎日作ってくれて本当に助かった。

真ん中の子が幼稚園に入ってからは幼稚園児弁当も共に。
デカ弁当とチビ弁当。
チビ弁当の楽なことといったら無い。

夏場は麺のお弁当。
それ以外はデカい弁当箱におかずとおにぎりは2個。
+部活前か後に1個。
一体いくつ握ったのかな。

卵料理はとりあえず何を作るか迷っている間に作る。
常に動かすべきは手と頭。
あおさを入れた卵焼きが美味しいと職場の先輩に教えて貰ってからは定番になった。

さらに迷っている間にお湯を沸かしておく。
そうすればお浸しやブロッコリーを茹でたり、とにかく手は進んでゆきお弁当の隙間も埋まってゆくのだ。

メインは主に肉。
たまーに魚。
鳥の照り焼きは超定番で唐揚げみたく大変さもないしよく作った。

冷凍食品はなるべく使わずに!
と思っていたが出来合いのコロッケやメンチカツはお肉屋さんで買ってきて詰めるだけでボリュームが出て本当に助かっていたなぁ。

思い返せば思い出が詰まりすぎていてこうして書いていても涙がにじむよ。

私も年をとって、20代の若いお母さんではなくなってしまったけれど、その分一緒にやってきた年月がたくさん重なって重箱みたくなって、美味しい旨味みたくなってると思いたい。

6:45に起きなくとも良くなった日々は少し楽になったけど、3年間フル回転してくれたあの茶色いお弁当はもういらなくなっちゃった。
もう子離れかよ、とその速さに今はまだ心が慣れないけれど私の子育てはまだまだ続くわけでまた「くっそー明日の弁当どうすれば?」などと悩むときがまた来るのだろう。

息子よ、今言ってももう仕方ないのだけど、最後のお弁当にはタコ唐を入れたかったよ。
普段っぽい中に少し特別な物を入れたかった。
君がいなくなってしまうのは分かってはいるけれど、その前触れがこんなにキツイとは思わなかったからさ、この寂しさが早く薄くなってくれる日を待つことにするよ。

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