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河内木綿のこと(資料について0)

『家業伝』木下清左衛門著(日本農業全書8) 

序文より

「天保13年に『家業伝行司』と題した。
私は本書の作製に心血をそそぎ、これを子孫に伝えようと希望している。
後の世の人は、農業の経験を積み、よく研究し、本書の記述に誤りがあれば補い、訂正することを願ってやまない。 
木下清左衛門 照忠 後に清光と改名す」

21世紀の私が、200年ほど前に書かれた書物を参考にする。


「後の世の人は」という一語に、心が震える。
これをお書きになったのは、”普通の人”である。
庄屋の長男だそうだ。

何かすごい偉業を成し遂げたわけでも、歴史を変えるような出来事を起こしたわけでもない。
有名な書物を参考にし、加えて、自身の経験に基づき記したようである。

こんな未来で、参考にされるつもりはあったのだろうか?
私自身のことを言えば、SNSやnoteも、人の目に触れることを意図して書いているわけで、清左衛門さんも、そんなちょっと自己陶酔的な思い(笑)もあったのだろうか・・・
だとすれば、「200年経っても残ったよ!!」と教えてあげたい。

人ひとりの人生は終わったのに、つながる。
時代を超えて、つながる。
地域を超えて、つながる。
年代を超えて、つながる。
始まりは違うけれど、つながる。

「ちょっと木綿でも植えてみますか~」ぐらいの始まりだった。
それもこれも、糸だから・・・紡がれていくんですかね・・・
なんてロマンティックなことだろう。

歴史はロマンじゃない!
歴史学を専攻して、自分の見解とかではなく、客観的に史料を理解することを学んできたと思う。
歴史はロマンではない。学問としてはそうなんだけれど・・・
それでも人の生きてきた道を追いかけるなんて、主情的なことこの上ない!!

そんなことを思いながら、資料を読んでいたので中々進まない・・・
ゆっくりと資料についてまとめていく。