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カメラマンなんていらないし最高の写真を撮ろうともしなくていい

71歳のライブ姿、本当に生き生きして輝いてる。
語弊を恐れず言えば、まったく呆れたクソジジイだw
その71歳のジジイから、帰り際にハグされて「死ぬなよ」と言われる47歳。
まったく俺ってやつは(苦笑

さておき、毎度不毛な押し問答する話。

私はいつもクレジットの掲載の問い合わせについては掲載を辞退している。
クレジットというのは「撮影〇〇」とか「photo by〜」とかああいうやつだ。

あらかじめ誤解のないように言っておくが
他のカメラマンさんが載せていることを否定している訳じゃないし、
もちろん紹介してくれようとするそのお気持ち自体は嬉しい。
ブログやSNSや口頭で「加賀さんに撮ってもらいました」と紹介されるのは
それが口コミの営業になって信頼度を増すので非常にありがたい。

ただ、写真にクレジットが添えられるのはどうにも無粋で好きになれない。
撮った本人が掲載不要です、って言ってるのに「いえどうしても」と譲らない編集者がとても多いのだ。

百歩譲ってどうしてもと言うなら巻末の奥付などに他の関係者の名前と並んで載るくらいでいい。
映画のエンドロールのようなものだ。
なのにどうも話してると「そういうものだから」とか「そういう形式なんで」とかフォーマットとして必要としてたり、
「クレジット載せてあげる」事も報酬的な意味合いを含んでたりして辟易とする。

だってお店の料理のメニューに撮影者情報なんて載らないだろう。
車や家電のカタログに撮影者情報が載ってるのを見た事があるかい。
スーパーのチラシに撮影者情報なんか絶対載らないはずだ。

当然、ああした写真が決して劣っている訳じゃない。
むしろとても高い技術が必要な写真だ。
ならどうして。

必要ないから。

じゃあ、本の紹介で著者近影に撮影者が誰かなんて余計な情報だし、
作家の作品写真だってそれはその「作家の作品」の写真であって
私が撮った「作家の作品写真」ではないはずだ。

舞台写真なんてまさに最たるもので、舞台上の演者と照明さん音響さんが一体になって作り出したその空間、観客が見入っているその世界こそ伝えるべきで、切り取った1枚の写真の写りがどうこうという話になるのはナンセンスだ。

そうなのだ、私としてはそこに世界を覗く窓として撮りたいと思っているのだから、わざわざそれを薄い1枚の「写真」に留められたら迷惑なのだ。
クレジットは撮影者に興味があろうがなかろうが強制的にそれが「写真」であると思い知らせてしまうのだ。

届けたいのは窓の向こうの世界の素敵さ。
「わぁ素敵な写真」とか「なんて美味しそうな写真」よりは「わぁこの子可愛い」とか「美味しそう!どこのお店?」と思われる方が本望。
撮り手の姿は見えなければ見えないほどいい。
そう思われないのはまだまだ私の腕が未熟なのはわかってはいるけれども。

それでも誰が撮ったんだろう、撮影を依頼したい、と思われてこそ本望であって、そうした人は主催者にでも聞いて調べるだろうし、
調べない人がただ誰が撮ったかしったところで「ふーん」で終わりだろうし、興味持った人に「実は」と知ってもらえる方が粋で有意義じゃないだろうか。

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ついでに言うと舞台撮影をしていて思うようになった事がある。

あるアーティストのステージ撮影をしている時、小さなライブハウスで最前列にかがみこんで撮影していてすぐそばにいたファンから言われた言葉。
「このアーティストの写真は是非撮って欲しい。是非観たい。でも私はここで存分に踊りたいからここにいられるのは邪魔かな・・・」

舞台がない時にはその写真はとても意味を持つのだけれど、その舞台の現場において、写真を撮るというのはとても異物で邪魔なものであると。

別の時にある写真好きの観客から言われた言葉。
「やっぱりその位置からの写真はいいですねー。でもそこから撮っても大丈夫なのは加賀さんだからであって、私が行ったら『何してるんだ、あいつ』って思われますよね。だから気を使って席から動かずに望遠レンズで狙ってるんですけど」

客席にいれば大きな望遠レンズを構えて狙っているのはその場において異物ではないのだろうか。

演者は音楽や演劇を楽しんで欲しい訳で写真を撮ってもらいにステージに立つ訳ではない。観客も音楽や演劇を楽しみに来てる訳で写真を撮りに来てる訳でもない。

ではその写真は何の為か。

自分が撮りたいだけなら、それはエゴなのだから他者に迷惑をかけてまでやることじゃない。
その写真が必要とされるのなら、最高の場所で最高の瞬間に最高の写真を撮ろうとするのではなく、この空間をできる限り崩さないように尊重しながらベターなより良い写真を残そうとすべきだ。

最高の写真の為に、その空間を汚してしまうのは、
綺麗な花を撮る為に花壇を踏み荒らすのと同じで本末転倒だ。

舞台撮影に最適なミラーレスカメラを探し続けているのもその為だ。
大好きなピアノ弾き語りの歌手がいるが、その彼女は曲の最後の音を鍵盤に叩いた後その音の余韻を追うようにその手を掲げ、最後に漂ってる残りの音をまとめるように高々と挙げた拳を握る。

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この瞬間にシャッター音なんか鳴らしたら台無しだ。
ここでシャッターを切るのを我慢できるか、それとも音がしないカメラを用意するかどちらかの選択肢ができる人以外は舞台撮影をする資格はない。

ただ音を消してミラーレスで撮るためには電子シャッターを使う必要があり
実は細かく点滅しているLEDの舞台照明では大抵のカメラの速いシャッタースピードで縞模様が発生してしまう。
色やLED個体差によっても出たり出なかったりで、演者には縞は出てないけど背景を照らしてるLEDには盛大に縞が、なんてこともある。

これが何台も試してみてるのだがなかなか解消できず、暗い中で動体を撮っているのにシャタースピード40分の1以下なんて選択になったりするのだ。

不思議な事にこれだけたくさんの人が写真を撮っているのに気にする人がいないのか、そうした検証データがあまりに少なくて
少ない情報の中ではどうもSONY α9II が唯一の正解っぽいのだがこれまた高額で、この地方の末端カメラマンの小さな小さな財布の限られた中では優先順位もすぐにとはいかず歯がゆい思いをしている最中である。
現状ベストの解決策なので必ず手に入れようとは思うけれど。

調子に乗って熱くなって随分と脱線したが、
私はできる限り自分の存在を消していくかを大切にする撮り手でありたい、という話。

反面、相反する話として、それで何も残らず誰にも覚えてもらえないのも寂しいというのも正直なところ(笑

知らない人は知らないままでいて欲しいし、
知ってる人は忘れずに覚えていて欲しい、
撮り手なんてわがままな人種なんです、結局のところ(笑









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