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宗教について

私は宗教が嫌いです。

なぜ嫌いなのか考えれば、まずは祖父母の家の法事で、僧侶に嫌悪感を抱いた事がきっかけでした。

僧侶曰く、南無妙法蓮華経と唱えよ。唱えれば救われる。救われなければ地獄行きで、子孫も、先祖も道連れだそうで。
そしてお経を唱える間中馬鹿でかい音量で甲高い音の木魚を叩き続け香を炊いて強い匂いを充満させる。一片の共感も納得もないありがたい話と、古式ゆかしい思考を奪う作法。当時10代だった自分が、坊主はクソだと思ったきっかけでした。

もちろん宗派や人によって語る内容も儀式の作法も違うのだと言うことは分かるけれど、仏教と言う大枠の中で認められているものの一つがあれではとても近づきたいとは思えません。

仏教に限らず、殆どの宗教には経典、聖書、教義、戒律と言った絶対的な決まり事がある様に思います。厳格さの程度は千差万別ですが、これらの通りにきまりを守れば正しく、そこから外れれば間違っているとされるのではないでしょうか。

今冷静に考えればこの事が、宗教が嫌いなまま自身と相容れない所なのだと思います。

自身の倫理観や道徳心よりも、信者は時にこれらの決まり事を優先する可能性があります。そんな人たちと安心して一緒に生きられるのか。私は無理です。身近に熱心な宗教家がいれば距離を取りたい。

願わくば、日本に於いては外部に規範を求めずに、各個人が社会を形成出来る程度に整った道徳心と倫理観をもてる社会になって欲しい。

宗教団体を母体とした政党があるうちはそんな社会だとは言えない。

だからこそ、公明党を批判する暇空氏は応援しています。

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