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大きな主語で語る事

高齢者は
医者は
公務員は
男は
女は
政治家は

こういった大きな主語で話をする事は危うい。特に批判的な文脈で大きな主語を使うと、必ず強い反発を生む。大きな主語の中で、言及すべき対象を絞る工夫が必要だ。

例えば、最近目にした高齢者を主語とした言説で、医療費の自己負担を増やすべきという主張と、役所で高齢者の振る舞いが酷いから嫌いという主張がある。

前者は日本人の高齢者全員が自己負担1割の医療を受けられるので、主語を大きく取って差し支えない。そこで出てくる反発はむしろ発言者の想定している議論の端緒となるだろう。

しかし後者では主語を大きく取ったことで、そうで無い人を巻き込んでしまっている。高齢者の中でも役所で無茶苦茶言うのは少数派だか、やたらと目立っているだけなのだ。(勿論無茶苦茶な人は若者より高齢者が多いが。)

そうなると、巻き込まれたまともな高齢者としては不快だし、反発もしたくなる。その反発はもっともなもので、元の発言者も受け入れざるを得ず、結局元の主張がぼやけて鮮明さを失ってしまう。

ただただ大きく見出しを出して興味を引き立い
のなら大きな主語を使っても良いが、理解を得たいとか、自らの主張を広めたい場合にはなるべく主語の範囲を絞るよう気をつけたほうが良い。

よくある男は〜とか、女は〜とか言う話題は殆どが話題にすることが目的なのでそれで良いが、その流れで自分の意見を主張したい時には、同じ主語で良いのか考えてみてほしい。

反対に、大きな主語の言説に自分が巻き込まれた時、どのような捉え方になるか、私の経験した実例を紹介する。

主語が男とか公務員と言った大きすぎるものならもはや何も感じ無い。これは多くの人が同じなのでは無いかと思う。男にも色々居るし、公務員もピンキリなのは周知の事実であってそんな括りの話は話半分で流せる。

一方で、とあるインフルエンサーが自称フェミニストをこき下ろす時に「京大卒で何にもなれなかった地方公務員」と言うような内容を罵倒の一環で繰り返した。
これは私に刺さった。ある程度絞られた属性で、自分そのままで、しかも内心の引け目を抉られている。勿論発言者は対象を罵倒する目的で言っているのであって、私に向かって言ってはいないし、自分が自称フェミニストのような害悪では無いと知っている。
でも刺さってしまうのだ。ぐぬぬってなる。多分、きちんと目的意識を持ってその道を進んでいる人も属性煽りを喰らえば多少の不快感は覚えるのでは無いだろうか。

属性煽りは不和を生む。批判すべきは行動であって属性では無い。それを心に刻んで、主語を適切に設定できれば、sns上の意見主張の混乱は減らしていける。

属性煽りダメ、絶対。

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