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私は私のここが好き。

#私は私のここがすき

…恥ずかしながら誤字があったので訂正を。

…という、note運営様側からのご提案のもとに。

ふと見た瞬間に思ったのは(自分の好きな所とは…どこだ…)っていう事で、すぐには思い付かなかったのだけど。

思うに考える事が無いくらい常時、平常運転で割と自分好きなのだと思った。


趣旨に反するのかもしれないけれど。

性格の中の特徴って言い方一つな事が多いと思う。

私から見た「判断が遅い」が、他の方から見れば「慎重」「熟考」だったり。

そういう事なら。
自分にも他人に対しても、良い感じに思える捉え方をしていたい。
その方がお互いに気分が良いと思う。

それに付随して。

自分から言うのもどうかと思うけれど、違法薬物依存の父親とネグレクト兼不倫依存という毒親という存在があって。

大概の罵詈雑言は当の親達だけじゃなくて関係者の方からも頂いた。
…変な方向に耐性が出来て、口頭で何を言われた所で(あー…それ〇番煎じかな、もうちょっと捻れば良いのに)程度。

なのだけど。
それだけの罵詈雑言やらを浴びて尚、他の方から見ると「自己肯定感」というものが高そうに見えるらしい。

個人的には「自己肯定感」っていう感覚が分からない。辞書を読もうと何を読もうと、感覚として分からないんだよな、という認識なのだけど…それを言った所、『分からないのは自己肯定感が高いからだと思います』との事。
そういうものなのか…?

一つ、主張したい。

自己肯定感、高いとか低いとか気にしなくても生きていける。高いか低いかは問題じゃないのでは。

そして、何かあれば(無くても)理不尽に他人に否定される事があるのだから、せめて自分だけは常に肯定しておいた方が良いとも。

自分くらい自分の味方をして良いと思う。
周りが何か言った時に、そちらに囚われすぎては楽しくない。

他人様、結構無責任な事を言うから。
人の背景も知らずに無責任且つ痛むような事を言うから。
責任を持たないヤツの言葉なんて気にしなくて良い。
痛み損。どれだけザックリ刺さっても痛い顔なんかしてやらないね、残念でしたー!…というのは、自分の個人的な負けず嫌いの本領発揮。

これは、自分の中の勝手な私怨(?)だけれど。
個人的に口頭の罵倒なんていちいち覚えていないし、特に根に持つ事も無い。

ただ、一度だけ。この一度だけは忘れないし、恐らく今後も忘れない。

どんな職業に於いても聖人君子のような方は居ない事は承知している。

そして、入院していた自分の父親の態度もよろしくなくて、SWさんや婦長さんにも「お父様を宥めて…」との旨も何度も。

その都度、SWさんを始め主治医の先生と婦長さんからナースステーションまで頭を下げて回っていた。(今のは思えばラッキーバードとかいう玩具か、とも思う)

その時、看護師の女性が二人。
一通りの謝罪周回を終えて父親の病室に向かい始めた自分に放ったのは、

『飼い殺しの犬みたい』『下げる為だけに付いてる頭』

…その時は悲しいやら何やらを通り越して笑ってしまった。
それは初めて言われたわ、って。

自分の感想はさておき。
ここで問題なのは、『私が何かしたか』だと思う。

少なからず病院関係者の方に悪態を吐いた事も無い。
態度が悪いのは私ではなく父親であり、何故かそれを私が謝っていた。
…そういった中で、不意にそういう理不尽な悪意をぶつけられる事もある。

私があの父親に何をされたかも、なにも知らず。
あなた方に何が分かる、介護している中でも罵詈雑言は飛んできて物理的にも物が飛んでくる中で。

入院していても一日に何度も呼び出されて、携帯の着信を無視すれば病院から電話を寄越して呼び出すのはあなた方ではないのか。

…帰宅してから、そんな事を考えてフラッシュバックと過呼吸を起こした。

不幸自慢でも何でもなく、数少ない口頭で自分のメンタルを抉った件。


はい、ただで起きません。

そういった事を経て、自分が悪い事をしなくても他人様に好き勝手に言われるなら、自分は自分の好きにして良くない?…との開き直りを得て。

勿論、法に触れるような事や無闇に他人様の迷惑になるような事をしようというのでは無くて。

私が私の味方をする、常に誰かに守って貰えるなんて思わない方が良い。
…人によっては淋しい考え方と言われるかもしれないけど特には。
『私』が、自分の心身くらい出来るだけ自分でどうにかすると決めてる、それだけ。

書いていて気付いた。
私はこの自分の『図々しい所』が一番好きかもしれない(笑)

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