月のテンペストにおける『裏と表』と「再構築」

※BIG4編25話までのネタバレを含みます

 月のテンペストというユニットの楽曲には多少の例外はあったとしても、概ね次の構図が成立している。詳細は引用元の記事で述べているため、未読の方は是非一度目を通していただきたい。というのも、今回の記事の内容は、この月のテンペストの構図と深く関わっているからだ。

琴乃の歌うパートにおける「私」=長瀬琴乃、「君」=月のテンペストの4人であり、逆に琴乃以外のメンバーが歌う場合の「君」=長瀬琴乃、「私」=月のテンペストというユニットを指している、となる(5人で歌っている場合には両方の意味が成立する)。

note「ソロ楽曲から見る川咲さくらと長瀬琴乃の比較」より引用

 2023年5月31日現在アイドリープライドのメインストーリーはBIG4編の25話まで公開されており、つい先日更新された最新21話から25話までの内容は、私に伊吹渚というアイドルの認識を改めさせ、かつ記事タイトルにもある楽曲『裏と表』を始めとする月のテンペストの歌詞にも新たな解釈を与える衝撃的なものだった。本記事では、一度完全に欠け「新月」となった彼女たちが再び満ち始めたまさしく転換点たる現在、月のテンペストに起こっている「再構築」について論じていく。記事内の主題は、『裏と表』以前の月のテンペストと、この楽曲以後(ライブ披露はかなり前のことではあるが、実際にアイプラ公式がこの楽曲をリアルイベント以外で明らかにしたのは「クリスマスには君と」よりも後であるので、正確にはこの楽曲こそが公式で発表された順番を見ても現時点での同ユニット最新曲だ。それにもかかわらず明確に「以後」とした理由は後述)の彼女たちとの比較ないし展望である。
 ただし、本記事の内容は全て筆者の読解と解釈に基づくものであることは意識に留めておいていただきたい。本文中で「こうは考えない」「この考え方は不適切ではないか」などの表現を用いている場合も、あくまで筆者が納得する上でその理屈を不採用としただけである。私自身様々な人との議論を通してもっとこの作品を深く読み解いていきたいと考えているので、本記事において少しでも納得のいかない議論の流れや読解、あるいは明確な誤読があれば是非ご指摘いただきたい。
 また、本記事は扱うテーマの関係上アイドリープライドBIG4編のネタバレを多分に含んでいる。というよりむしろネタバレしか話していない。その点に関しては十分に納得した上で読み進めてほしい。もし未視聴だったり自分でもう少し掘り下げたいと思っていたりするならば――もしそうした気持ちがほんの少しでもあるなら――ブラウザバックすることを強く推奨する。


1.BIG4編「Goodbye to the Moon」の伊吹渚

 先日更新されたメインストーリーにおいて最も焦点が当てられていたのは伊吹渚だろう。この節では、当該ストーリーにおける渚の動向を概説する。
 月のテンペストを脱退するという決意を琴乃本人の口から聞かされた彼女は、続いて琴乃から「一緒に来ないか」と誘いを受ける。琴乃を一番近くで支える、ただそのためだけに星見プロダクションの扉を叩いた渚にとって、琴乃が脱退した月のテンペストでアイドルを続ける意味はあるのか。迷う渚は、自分の気持ちと向き合い納得のいく答えを出すべく一人星見市を訪れる。デビューライブが開催された星見高台のステージ、昔の事務所、仲間たちと過ごした寮。これらに足を運び、事務所に入ってからの日々を振り返る中、渚は自分の中で、アイドルの目的はもはや琴乃を支えるために留まらなくなっていることを悟る。琴乃だけではなくて、月のテンペストというユニット皆のことが大切であること、何より伊吹渚自身がもっとアイドルとして輝きたいと感じていることに気が付くのだ。それは、琴乃への想いのあまり自信を持って踊れなかった、自分自身の個性に思い悩んだあの日の伊吹渚とは大きく異なっていると言える。
 そして、渚は今の自分の真っ直ぐな気持ちを、夢を、実現するための最善を、最も正しい行動を、選択する。かつて大好きな親友を一番近くで支えたくて右も左もわからないままにこの世界に飛び込んだ少女は、もう後ろからサポートするだけではなく隣に並び立ちたい、琴乃の隣でずっと”アイドルを”続けたい、と考えるようになった。月明かりの下、琴乃に自身の答えを伝え、二人は今までの感謝と別離の言葉を口にする。互いにこれが正しいとわかっているから、別れて一人になるまでは涙を流さなかった。逆に言えば、正しいとわかっていたとしても、胸の痛みも抱えた苦みも無視できるほど大人ではなくて、琴乃も渚もまだ青い子供だった。
 21話から25話までの渚について、大まかにまとめると上のようになる。こうして列記してみると、あることに気が付いた方もいるのではなかろうか。一連の伊吹渚の心情の動きが、ある楽曲の歌詞とちょうど符合するのである。そう、『裏と表』だ。

2.『裏と表』における大転換

 『裏と表』を伊吹渚の歌であるとする根拠について論じるより先に、『裏と表』の特異性について考えていく。冒頭で述べた月ストのほとんどの楽曲に共通する構図を前提に見た時、腑に落ちない点を列挙し、この楽曲を「伊吹渚個人の歌」と考えることでそれらが解消されることを論じよう。

2-1.『裏と表』の特異性

 この楽曲は言うまでもなく月のテンペスト5人で歌っている曲である。したがって、この曲においても琴乃の歌う「私」が長瀬琴乃で「君」が月ストの4人であり、残る4人のパートにおける一人称が自分たち、二人称が長瀬琴乃であるはずだ。ところが蓋を開けてみれば、その予想に反して、『裏と表』はこの構図が成立しにくい。生じている違和感の主な原因は、次の三つであると分析できる。

①これまでの月ストの楽曲での琴乃以外のパートは基本的に「君」を想っていたり誰か(過去の自分を含む、現在の自分とは異なる存在)に呼び掛けていたりする歌詞ばかりだったのに対し、『裏と表』では隣にいてくれる「君」の存在を確かに感じつつも、どこまでも現在の自分に重きが置かれている点
(例:もっともっと”私を”輝かせてみたいよ)

②一部の歌詞の解釈がBIG4編序盤(~20話くらい)までの月のテンペストの状況と結びつかない点
(例:月の裏で愛を語るより目を見つめもっと光浴びていたい)

③「追いつきたい負けたくない」が琴乃からさくらへの、あるいは月のテンペストからサニーピースへの言葉と見た場合、その箇所だけが楽曲内でイレギュラーとして浮いてしまうが、かといって月のテンペスト内の個々のメンバー間全体におけるもの(琴乃から月のテンペストの4人、渚から月のテンペストの4人、のように)としても本編での描写を欠く点

 順を追って軽く説明しよう。なお本節では上の内容を補足するに留め、『裏と表』と伊吹渚の関係については次節2-2.から言及している。ゆえにお時間のない方などは読み飛ばしてしまっても構わない。

 ①については、これ以上述べなくても伝わるかもしれないが、この楽曲ではそれまでとは大きく異なり、月のテンペストの4人と長瀬琴乃の「対話」という構図を取っていないのである。琴乃が歌い上げる内容に、他の4人が答えを返す。4人がかけた言葉に、琴乃が感謝を述べ決意を示す。キャッチボールとも呼べるような月ストの曲の持つ特徴の一つが『裏と表』には見当たらない。むしろ、先ほど例に挙げた「もっともっと私を輝かせてみたいよ」などは、自分自身に対する表明と見る方がこの言葉の持つニュアンスに近いだろう。この点は、それまでの月のテンペストの楽曲とは一線を画している。

 続いて、②に関して。I-UNITYでIIIXに敗北してからずっと低迷が続く月のテンペストは、ここで挫けることは決してせずに前に進み続けること、近場の話ならどりきゅんへのBIG4チャレンジに挑戦することを決意する。取り上げた歌詞の後半箇所「もっと光浴びていたい」は確かにこの時点の彼女たちとも通ずる部分があるかもしれない。ただ、その一方で「月の裏」という言葉は本当に月のテンペスト全体の立ち位置、あるいは長瀬琴乃の現状を表しているのだろうか。月ストの楽曲において多用される「月」が比喩している対象はフレーズやパートごとに差異があるとは言え、おおまかに「長瀬琴乃」「月のテンペスト」の二通りに分類できる。しかし、月ストの現状を見れば、そのいずれもが合致しない。川咲さくらと見る方もいるかもしれないものの、私はそれは適切でないと考える(理由は③で詳述)。
 さらに、その直後に続く「愛を語る」は何を指すのだろう。これに関してはBIG4編20話までの展開からでは皆目見当がつかない。『裏と表』の私は、誰に対する愛を語っているのだろう? 本編との関連を度外視して、歌詞のみを見た場合、この「愛」の対象はおそらく「月の表側」であると推察される。続く「目を見つめ」の「目」は、おそらく月の表側のものだろう。裏にいては、つまり後ろ側にいては、表側の目を見つめることなどはできまい。そして、「裏で愛を語る」と「目を見つめもっと光浴びて」が比較されているということは、これらは主体と客体が同一であると考えるのがもっともらしい(例えば「Aと話すよりもBと遊園地に行く方が好きだ」と言う場合に、正確な対比関係は成立していない。比較するなら一部分のみの条件を変えて、残りは全く同一にしなければならないからだ。科学実験における対照実験と同じ理屈である。正確な対比でなくとも意味は一応通っていると思われるかもしれないが、この文では客体は省略されていない。一方『裏と表』では動作が誰に対してのものかが記述されていないので、その対象は同一と見なせる)。既に取っている行動そのものが変わっているので、それ以外の要素、すなわち動作主体と動作の対象が共通していると考えるべきだろう。したがって、この部分の歌詞は、「月の裏で表側のあなたへの愛を語っているよりも、自分も表に行ってあなたの目を見つめながら、光を浴びることを望む」と言い換えることができる。歌詞部分を紐解いてみても、やはりBIG4編20話までの月ストとはあまり縁がなさそうだ。
 これらから、BIG4編序盤時点での月ストと照らし合わせると、該当箇所などの一部歌詞が意味するものにてんで検討がつかなくなるのである。

 最後に③だが、私は「追いつきたい負けたくない」が琴乃や月ストから、さくらやサニピへ向いたものである、とする解釈それ自体には、完璧とまでは言わないにしろ一定の合理性があると考えている。しかし、たとえこの解釈が正当としたならば、『裏と表』全体を俯瞰した際にあちこちに齟齬が生じる。というよりも、この部分とそこに直結する歌詞のみがさくらないしサニピに言及していることになり、それ以外の歌詞との脈絡が明らかになくなってしまう。それゆえ、私は「追いつきたい負けたくない」はさくら・サニピへ当ててはいない、と結論づけた。とは言うものの、月ストのメンバー同士がそれぞれにこうした対抗心を燃やしているとするには、もう少しばかり本編での描写が欲しくなるところである。

 このフレーズは、歌詞全体を眺めた時に冒頭ないしラスサビ直前にある「月の裏で愛を語るより目を見つめもっと光浴びていたい」の部分と比較して、「自分と表裏の関係にある誰か」、つまり「月の表側」に対する感情であると考えるのが一番自然なはずだ。仮に琴乃からさくら、あるいは月ストからサニピへの言葉だとして、果たして両者はさながら月の表と裏のように二つで一つの関係と呼べるだろうか。琴乃からさくらへの、あるいは月ストからサニピへの気持ちに、「追いつきたい負けたくない」といったものが含まれていることには私も同意するものの(実際にイベントストーリーで同様の会話がある)、サニーピースを月の表側とした時に月のテンペストをその裏側とするのは本当に正確なのだろうか。本編で対照的に描かれているものの、サニピと月ストは二つで一つ、表裏一体、といった関係なのだろうか。とはいえ、同時期に同じ事務所からデビューしたライバルとして両ユニットを対の関係で見る方もいるだろうし、私自身その見方に異論はない。ゆえに、多少しっくりこなかったとして、二つのユニットの現時点での関係を月の表と裏に対応させる解釈そのものには、ある程度の妥当性を見て取れる。
 けれども、他の部分(例えば「言葉以上の愛情で」など)には、明らかにサニピというライバルではなく、同じユニットの仲間へ向けられていると考えた方がはるかに無難な歌詞が含まれている。全体を通して見た時に、「追いつきたい負けたくない」の部分だけが川咲さくらないしサニーピースを意識していることになってしまい、明らかに異質であるとの印象を受ける。また、そもそも月は自転をしないので我々に常に同じ面を見せているため、「月の裏側」は決して太陽の光を浴びることのない、表側のおまけである。月の裏側にいてはいつまでも「私を輝かせ」ることなど不可能だろう。だからこそ「月の裏で愛を語るより(中略)光浴びていたい」に繋がる、ということは容易に想像がつく。ここから、「追いつきたい負けたくない」相手である「月の表側」が歌詞中の「君」と全く別個の存在とするのは本当に十分な解釈だろうか。
 したがって、以上の理由から私は「追いつきたい負けたくない」というフレーズは川咲さくらやサニーピースではない誰か、もっと言えば同じ月のテンペストのメンバー間でのものであると考えている。これまで月スト同士は「互いに嫉妬し合うユニット」と言われており(長瀬琴乃「光華霜夜」ストーリー参照)、そこまで突飛な考えではないだろう。しかし、これまで月ストのメンバー同士での対抗心よりも、ライバルユニットで自分たちとは対照的に大躍進を続けるサニーピースへのそれの方が本編ではフィーチャーされていたり、この「嫉妬し合う」という概念でさえ長瀬琴乃のカードストーリーで言及されたのみで本編では特筆はされていない(何か見落としがあれば指摘してください)。月のテンペスト全体で見た時にこの見方を採用するには、先ほど突飛ではないとは言ったものの、本編でそういった描写がない点で、説得力に欠けていると言わざるを得ない。

 これら三つから、『裏と表』はそれまでの月ストの楽曲に特徴的だった「長瀬琴乃と月のテンペストの4人」という構図が成り立っているとおいた時にいくらか矛盾が生じてしまうと言える。であるがゆえに、そもそもの『裏と表』でその構図が成立しているとする仮定そのものが誤りであったと考えるのが最も合理的だろう。
 ここまでが、BIG4編20話までの描写から考察できる内容である。そして、先日の更新を受け、さらに一歩進んだ解釈を提示できるようになった。それが、「『裏と表』は伊吹渚の歌である」とするものである。

2-2.伊吹渚”個人”の楽曲としての『裏と表』

 2-1.で書き連ねた『裏と表』をいつも通りの長瀬琴乃と月のテンペストの楽曲として見た場合の齟齬は、この楽曲がBIG4編25話あたりの伊吹渚の心情を歌っていると解釈した場合に全て解決される。そればかりか、上記の具体的な箇所の他の一見意味を取りづらい比喩表現などにも、最新話での描写を組み合わせることで渚との結びつきを見ることができるのだ。

 まず「現在の自分」に重きが置かれているのは、BIG4編21話から25話までのストーリーがそもそも伊吹渚の気持ちや決意を中心に展開されていたことと一致する。例に上げた「もっともっと私を輝かせてみたいよ」は、「私自身がアイドルとしてもっと輝きたい」という渚の言葉と重なっている。それまで「琴乃のために」が先行していた渚が、初めて自分一人で「伊吹渚」と向き合い、その過程で自身の真の想いに気が付くこのストーリーでは、今の渚に焦点を当てていることには何ら異存ないはずだ。

 また、BIG4編20話までの描写からは本編のキャラクターたちと関連付けることが難しかったフレーズも、BIG4編25話を経た渚を描いていると仮定した場合にはするするとほどけていくのがわかる。代表的なものが、前節にて例に引いたフレーズだろう。「月」は長瀬琴乃のことであり、裏で琴乃を支えるのではなく隣に並び立ちたい、そのために自分も彼女と同じくらい輝かなくてはならない、そんな渚の想いが直球で表現されていると言って良い。BIG4編21話から25話までの副題「Goodbye to the Moon」ともよく合っていることも、その根拠として挙げられる。
 また、『裏と表』二番サビラストにある「言葉以上の愛情で」から、この楽曲における「私」が「目を見つめ」、「語る」(=言葉による「愛」)よりも大きな愛情を示す、その決意を固めることが窺える。渚にとって琴乃を支えることはまさしく彼女への「愛を語る」ことであり、今回の一時的とは言え琴乃と離れる選択を、渚当人は「真に琴乃の隣にい続けるための正しいもの」と認識しており、それは隣で支える以上の愛情と呼べるだろう。

 さらに、今回の渚はメインストーリーで琴乃に対する強い闘争心を見せた。2-1.で、「追いつきたい負けたくない」という歌詞が月スト内での感情とするには、月のテンペストのユニット内におけるライバル意識はこれまであまり描かれてこなかったためやや根拠に乏しいと論じたが、BIG4編21話から25話までで渚から琴乃への明確な対抗意識が描かれたことにより、この歌詞が誰から誰への心情なのかを考える上での非常に有力な根拠が新たに登場したのである。琴乃からさくらへとするのは全体の文脈的に不適合、かといって他の解釈は説得力がない、いまいち決め手に欠けていた状況で、新しい「渚から琴乃への気持ち」とする見方は、『裏と表』全体の歌詞の解釈で見ても辻褄が合い、かつ十分に本編での描写もある、という両者の欠点を埋めるものだったと言えよう。ダメ押しでBIG4編22話では琴乃が渚に対し「自分たちは二人で一つ」と語る場面がある。渚が琴乃という月と表裏一体の関係にあることは自明である。

 本節の内容から、『裏と表』を今まで通りの構図を前提とした場合や、琴乃からさくらへの歌として解釈した際に無視できない撞着の全てに対し、『裏と表』が伊吹渚個人の感情を表している楽曲であるとすることで、納得の行く説明が可能になることがわかる。したがって、『裏と表』は伊吹渚のBIG4編25話時点での心情を歌うものである、と考えるのが少なくとも現在では最も妥当性のある解釈と言うことができる

2-3.「『裏と表』=伊吹渚の楽曲」はどんな意味を持つのか

 ここまで長々と『裏と表』が伊吹渚個人に主眼を置いているとする私の考えを論じてきた。この見方が一定以上のもっともらしさを持つ場合、今後の月のテンペストの楽曲の展開予想にどういった影響を与えるだろうか。第4章でより突っ込んだ議論を行うものの、この段階で言える内容についてまず整理したい。
 『裏と表』以前の月ストの楽曲ではそのほとんどで「長瀬琴乃と月のテンペスト」の関係が描かれていた。そして、現在月のテンペストの中のたった一人にフォーカスした楽曲が初めて制作されたわけだけれど、これにより、月のテンペストというユニットが「長瀬琴乃と月のテンペスト」の関係だけではない可能性が開けた、と言える。すなわち、今後月ストは『裏と表』を皮切りに伊吹渚だけではなく、白石沙季に、成宮すずに、早坂芽衣に、他のメンバー一人ひとりに焦点を当てた楽曲を発表していくかもしれないのだ。そういう意味でも、この『裏と表』は月ストにおいて大きな転換点と見なせるだろう。

3.月のテンペストの特長と現在抱えている矛盾

 月のテンペストは本編中で度々サニーピースと対照的に語られる。サニーピースが5人やファンという一人ひとりの「ピース」を集めて一つの「サニーピース」になるのなら、月のテンペストはしばしば「バラバラなユニット」と言える。星見編で渚は「自分たちはバラバラだけどアイドルが好きという点で共通している」と言い、BIG4編でも同様の言及があった。東京編でサニピが「一人ひとりが集まって一つの大きな太陽になる」ユニットであると強調されてきたことからも、月ストはその対照として個人は個人としてしっかり存在したまま同じ方向へ走っている、ある意味LizNoirに近いユニットと言える。LizNoirの「孤独」については下の記事を参照。

 さて、そんなバラバラで、バラバラだからこそ強い月のテンペストは、その性質とは裏腹に、現在までの物語では長瀬琴乃以外の存在感が個として確立されているとは言い難い。楽曲以外でも、月のテンペストというユニットを眺めた時、そこには常に「長瀬琴乃とそれ以外」という構図が浮かんでくる。それが一概に悪いとは思わない(実際長瀬琴乃が圧倒的な個の輝きを放っていたNEXT VENUSグランプリまでの月ストは琴乃が牽引する形で他のユニットと十二分に太刀打ちできていた)ものの、月ストの「バラバラであるがゆえの強み」はあまり活かされていないのは確かだ。良くも悪くも月のテンペストは長瀬琴乃という存在に依存している。この状態が月のテンペストの性質とぎりぎり衝突せずに済んでいたのは長瀬琴乃が「呪縛」という自らを動かす根源を持っていたからであり、星見編での長瀬麻奈からの離別を経てそれが失われた現在では、最早矛盾は避けられない。月のテンペストは、長瀬琴乃のみが支えるのではない、異なる形を模索する必要に迫られている。つまり、「長瀬琴乃とそれ以外」のユニットから「長瀬琴乃と伊吹渚と白石沙季と成宮すずと早坂芽衣」のユニットへと「再構築」し、真に月ストの持つ「バラバラさ」を最大限活かす方法が求められているのだ。そしておそらく、その模索の過程を描いているのが、BIG4編であると思われる。

 2-3.および第3章の内容を合わせると、改めて『裏と表』が月のテンペストというユニットの成長過程において非常に大きな転換点となっていることがわかるだろう。今後月のテンペストが「バラバラ」なユニットになっていく中で、『裏と表』の他に白石沙季、成宮すず、早坂芽衣、といった個人の心情に特化した楽曲が発表されていくのかもしれない。続く第4章では、これとは異なる意味での『裏と表』の起こした転換について論じる。

4.月のテンペストは『裏と表』より前か後かで語られる

 先ほど『裏と表』より後に発表される新曲が、「長瀬琴乃と月のテンペスト」の構図から脱却している可能性を述べたが、『裏と表』が起こした転換の影響は何も、まだ発表されていない未来の月のテンペストの楽曲に留まらない。この楽曲の登場(とそれに付随する本編の更新)は、月のテンペストの既存楽曲の解釈にも新たな風を吹かせたのである。月のテンペストの既存楽曲の一部は「長瀬琴乃と月のテンペスト」の関係だけのものではなくなっている。
 『月下儚美』や『The One and Only』はその代表だろう(『Daytime Moon』には少なくとも今回の『裏と表』による転換の波は届いていない)。これらは、今まで月のテンペストに対する長瀬琴乃、長瀬琴乃に対する月のテンペストの4人、と捉えられていた楽曲である。この構図とは思っていないとしても、これらが長瀬琴乃目線のニュアンスが強い、すなわち渚、沙季、すず、芽衣たち単体の心情には言及がない歌詞であることには大方同意していただけるのではなかろうか。しかし、今回のBIG4編更新話を受け、これらに「伊吹渚から長瀬琴乃への歌」とする解釈が可能となるのである。例えば、『月下儚美』にある「夜に咲く花一輪 儚く美しいその姿 何故に涙が出るんだろ」という一番Aパートの歌詞は、BIG4編24話で月の下で見た長瀬琴乃を綺麗と感じた渚と重なる(『裏と表』の「風はやみ揺れる草花を見つめて」にある「草花」に乗る文脈はおそらく『月下儚美』のこの歌詞と関連があると私は考えている)。その他の歌詞にも、これら楽曲を「渚から琴乃へ」と見ても特に矛盾は生じていない。
 したがって、次の仮説を立てることができる。つまり、今後渚以外のメンバー個人を取り上げた楽曲が新たに発表され、メインストーリーで月のテンペストの「再構築」が進行していくのと同時に、既存楽曲もまた「バラバラな月のテンペスト」に合わせた一人ひとりが「私」となりうる新たな解釈ができるように「再構築」されていくのではないだろうか、というものだ。月のテンペストというユニットの楽曲は、『裏と表』以前と以後で大きく異なる解釈がなされるようになる、その可能性が示唆されているのである。

まとめ

 月のテンペストにおいて、『裏と表』は様々な意味で転換点となっている。一つは、今後発表される月のテンペストの新しい楽曲についての展望、もう一つは、既存楽曲の解釈に対する全く異なる見方の提示。その根拠として、本記事ではこの楽曲が「伊吹渚個人」に焦点を当てていることを挙げた。メインストーリーで進んで行くと考えられる月のテンペストの「再構築」も合わせれば、その可能性はある程度の確かさを持っているように思われる。

 BIG4編では、星見編や東京編で私が月のテンペストに対し感じていた懸念が全て意図的に描写されていたことが明らかになり、それらを明確に問題点として解決する方向にストーリーが向かっている、と個人的に感じている。それはアイプラのメイン脚本家の腕を信頼するには十分過ぎるものだ。BIG4編がどのような着地を見せるのか、今から楽しみでならない。

 と、BIG4編へ筆者が抱くたいへん大きな満足感を述べたところで、筆を置こうと思う。現時点でこの記事は10,700字弱あるらしいので、最後までお付き合いくださったあなたには本当に頭が上がりません。ありがとうございました。この記事がアイドリープライドを楽しむあなたに少しでも良い変化をもたらしたならば本望です。

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