ソロ楽曲から見る川咲さくらと長瀬琴乃の比較

はじめに

 さくらにとっての「あなた」と、琴乃にとっての「君」。そして、サニーピースにとっての「君」と、月のテンペストにとっての「君」。この記事の主題は大雑把にまとめると上記のものになる。
 先日、IPCA「未来」が発売となり、このアルバムには長瀬琴乃のソロ楽曲である「未来模様」も収録されている。そこで、今回は1stEPに収録されたさくらのソロ楽曲との比較から、さくらと琴乃、そして彼女たちのそれぞれ所属しているユニットの楽曲の特色を考えていくこととした。
 本記事の構成としては、ソロ楽曲の二人称と、ソロとユニット楽曲の制作者、二つの観点でそれぞれ楽曲を比べ、そこからどのような解釈が導き出されるのかを項目ごとに論じていく、というものになっている。後者の節では冒頭で触れたユニット楽曲の二人称の差異も扱った。
 なお、本記事の内容は全て筆者個人の独断と偏見に基づいており、他の解釈を否定するつもりも、これだけが唯一の正しい読み解き方であると意見を押し付けるつもりもないことをここに明言しておく。この記事を読んだことで、アイドリープライドの受け取り方の幅が広がったり、この作品をもっと楽しめるようになったり、そうした変化が少しでもあなたにあれば、これ以上の喜びはない。

ソロ楽曲の二人称

 この節では、それぞれのソロ楽曲に現れる二人称が指す概念が焦点となっている。いずれの曲も「私」が「あなた」ないし「君」からの救済を受け、そこから先の未来ではどのような姿勢で進んで行くのかが歌われている(厳密に言えば、過去を振り返りつつも「あなた」への感謝を軸とするさくらと、「君」が「私」に与えた影響を中心として直接的な感謝の言葉はない琴乃とで、ニュアンスの違いは存在しているものの、抽象的構図自体は類似していると考えても問題は特にないはずだ)。したがって、この二人称が誰なのかを考えることは、さくらと琴乃に救済をもたらしさらなるステップへ押し上げた人、そして二人が各々経た成長の過程、それらの違いを理解する助けとなるのではないか。この考えに基づき、この節は展開されている。

1.さくらにとっての「あなた」

 まずは、川咲さくらソロ楽曲「もういいよ」に登場する二人称「あなた」が一体誰を指しているのかを考えていこう。
 以前の私は、この二人称は長瀬麻奈のことであると解釈していた。

 この楽曲では、ずっと側にいてくれていた「あなた」とさくらが別れを告げ、「『もういいよ』、もう大丈夫だよ」と伝える。ゆえに、アニメや星見編での展開も踏まえると、心臓のもとの持ち主である長瀬麻奈との決別を歌っていると考えるのが無難との見方は、そこまで突飛ではないだろう。
 しかし、私には一つだけ腑に落ちない歌詞があった。「あなた」が長瀬麻奈であった場合、矛盾が生じてしまうように感じる箇所がある。それが、「お互いに強くなれたから」と歌う部分だ。というのも、アニメや星見編全編を通して、幽霊となった長瀬麻奈側に変化は一切なかったからである。さくらは自分に文字通り命を与え生かしてくれた心臓とその提供者に心から感謝しており、恩返しのために心臓の望むことはなるべく叶えようと行動してきた。アイドルを始めたのもその一環であったが、それではトップアイドルにはなれないと麻奈に諭され、麻奈の歌声と別れを告げて自分にしか歌えない歌を探し始める。アニメや星見編でのこうしたさくらの動向は間違いなくアイドルとしての成長や”覚醒”を描いていると言えるだろう。一方で、長瀬麻奈は自分が今も胸に抱き続けているアイドルとしてのプライドを行動基準としてさくらを導くものの、麻奈がさくらに何か影響を受けたりさくらの行動で麻奈が何か成長したり、といった描写は一切なかった。つまり、さくらは強くなれたかもしれないけれど、長瀬麻奈にはそうした成長はなかったので、決して「お互いに」ではないのである。それはおそらくさくらもわかっているだろうし、何より彼女は「自分も相手も成長できたよね!」などと躊躇なく述べる人間ではない。自分の成長や変化について相手に感謝こそすれ、他人が精神面で強くなったかどうかの勝手な判断など、川咲さくらが果たしてするだろうか。少なくとも、自身も関わっている人間関係で、完全な第三者でもないのに相手の内面的な変化を断定することなどしないのではないだろうか。
 当時の私はこの疑問に明瞭な答えを出すことができないまま、考え得る中で一番もっともらしい長瀬麻奈が「あなた」に代入されるだろう、と結論付けた。これでひと段落したかに見えたその数か月後、偶然ある記事を見つけたことで、この議論は大きく動き出すことになる。
 その記事では、川咲さくらを演じる声優の菅野真衣さんが1stEPについて話している。何気なく読んだこの記事にあった次の内容に、私はかなりの衝撃を受け、同時にそれまで燻っていた違和感がするするとほどけ、すとんと納得することができた。

 レコーディングのときに田村さん(※)に聞いたら、この曲全体に『陰の要素はない』とおっしゃっていて。“お互い”や“あなた”も出てくるけど、さくらちゃん以外の人はいないらしいんですね。今までの価値観から前向きに旅立っていくさくらちゃんの葛藤や揺れ動く日々を描いた曲だったんです。
※田村さん:作詞作曲編曲を担当した田村歩美氏のこと

「川咲さくらとの出会いで人生が変わった」、声優・菅野真衣、IDOLY PRIDE 1st EPを語る
WEBザテレビジョン
(https://thetv.jp/news/detail/1091632/p2/)


 これが全てです。他に言うことはないとしても良いレベルではあるものの、流石にもう少し、この記事の内容を受けて私がどう解釈を再構築したのか補足したい。
 先ほど「恩返しのために心臓の望むことはなるべく叶えようと行動してきた」と書いた。では胸の高鳴りに従うばかりだった時に川咲さくらの自由意志はまったく存在しなかったのだろうか。否であろう。心臓の願いに耳を傾けていたあの頃だって紛れもなく川咲さくらだ。
 でも、いつものように心臓に合わせて星見プロの門を叩きアイドルを始めたことで、いつもとは異なり初めて芽生えたのが、心臓も恩返しも関係なく、ただ自分がやりたいからアイドルを続けたい気持ち。川咲さくら自身の本当にやりたいことに気が付き始めたのである。それは、今までのさくらとは異なる――かと言って全くの別存在というわけでもない――川咲さくらの誕生だったと言えよう。そして、この新しい川咲さくらこそ、「もういいよ」に登場する「私」である、というのがこのインタビュー記事を読んで浮かんだ(私にとっては目から鱗の)解釈だ。アイドルを続けていく中生まれた「私」が、それまで川咲さくらの生き方を決定してきた「あなた」(これもまた川咲さくらであり、決して長瀬麻奈ではない)と、葛藤しながらも次の旅路へ出発するために別れを告げる。これなら、前述の「お互いに強くなれた」という歌詞にも整合性のある説明をすることが可能となる。単純な話、「あなた」は「私」でもあったから、相手も強くなったと断ずることができたのである。また、以前まで川咲さくらとして生きてきた人間が「あなた」であるのだから、これ以外の部分でも当然納得のいく解釈をすることが可能である。
 ここで一つ断っておきたいのは、「制作者の解釈だから」この考えに賛同しているわけではない、ということである。一般に作品の描写は、たとえ制作者がどのような意図を持っていたとしても、キャラクター解釈的にこれが最も合点がいくと考えられる見方が支持されるべきだろう。私はこの記事でこれまで持っていなかった視点を得て、それが最も説得力のある解釈であると他の川咲さくらの描写と並べた上で判断した。あくまで解釈の材料になっただけで、制作者・公式の判断であることそのものを理由に、思考停止した状態でこの楽曲を見ているわけでは決してない。
 この項目をまとめよう。歌詞に登場する「あなた」もまた川咲さくらであった。したがって、川咲さくらのソロ曲はどこまでも自分の中で完結していると言えよう。現在のさくらがかつての自分に、「大丈夫だよ、『もういいよ』」と伝える。そこに他者の介在はなく、さくらが新たな旅を選ぶにあたって直接的に関与した人間はさくらの他にいなかったのである。さくらを救済したのはさくら本人であった、と言うこともできるだろう。実際、星見編でさくらが麻奈の歌声を封印し自分だけに歌える歌を探すと決めた時、その決断はさくら一人で下していた。相談しながらさくらが葛藤を乗り越えたわけではなく、さくらが決め、それをサニピの4人は受け入れた、との図式を見ることができる。ここからも、「もういいよ」でさくらの決意に唯一関わった「あなた」がさくら自身であった、とする見方の妥当性がわかるだろう。

2.琴乃にとっての「君」

 他方、アルバム「未来」に収録された長瀬琴乃のソロ楽曲「未来模様」はどうだろう。この楽曲内にも「私」の他の二人称「君」が登場する。「私」が琴乃であるとして、琴乃にとっての「君」は一体誰なのだろう?
 先に結論から出してしまうと、これは月のテンペストの4人であると私は考える。
 この楽曲の構成は大雑把にまとめると、冒頭部分とラスサビ前の歌詞との対比によって説明することができるだろう。該当箇所をそれぞれ次に引用する。

強くなくちゃいけない
優しさには甘えられない
もうこれ以上何を望むの?
見えないもの探し続ける今(tonight)

優しさに負けちゃ 甘えちゃダメ
ひとりでできると 大人のマネ
空回りずっと してたねごめん
受け止めてくれた 大事な…

未来模様
長瀬琴乃(CV:橘美來)
作詞:利根川貴之 作曲・編曲:ミト(clammbon)

 すなわち、一言でこの楽曲で歌われていることをまとめると、かつて「ひとりでできると大人のマネ」をしていた「私」が「君」といたことでそれが「空回り」であったことを自覚し、そんな「空回り」さえ「受け止めてくれ」ていた「君」への感謝を交えた、自身の今後についての覚悟となるのである。
 ここで思い出してほしいのが、アニメや星見編でさくらの登場により姉そのままのアイドルにはなれない自分がこれ以上アイドルを続ける理由がわからなくなっていた琴乃に、渚を始めとする月ストの4人が伝えた想いと、それに対する琴乃の返答である。琴乃の歌声や琴乃と一緒にステージに立つことが大好きであること。琴乃の歌が一番だと思っている月のテンペストの5人で、自分たちのために歌い、自分たちのためにグランプリの優勝を目指したいこと。4人の気持ちを聴いた琴乃は、「姉のことばかりで全然気が付いていなかった、ありがとう」と涙ながらに感謝の言葉を口にする。この場面の構図は、そのまま「未来模様」で歌われている内容と重なっている、と私は考えている。
 視野が狭くなっていた自分を責める琴乃に対し、4人はそんな琴乃だったからこそ皆琴乃が好きなのだ、と返す。「空回り」をしていた琴乃もまた長瀬琴乃であるとしている4人は、「空回り」までも「受け止めて」いると言えよう。これは、「空回り」していた自分を否定的に認識していた琴乃にとっては紛れもなく救済たりえたと容易に推測され、自分が正しいと信じたことを痛みを味わいながらも疑わずに真っ直ぐ進み続けてきたこれまでの琴乃の姿勢に対する肯定は、おそらく「そんなあなただから好きになった」以上の形では現れないだろう。
 琴乃のソロ楽曲の二人称についてまとめる前に、考え得る他の案を不適切と判断した理由を述べておこう。長瀬麻奈と川咲さくらである。
 まず姉の長瀬麻奈だが、琴乃が麻奈に「アイドルが素敵な仕事だとわかった」と伝え、「お姉ちゃんの後を追いかけない」と宣言するエピソードの時点で、既に琴乃はこの「未来模様」の境地に達していると考えられる。この場面が麻奈の死後最初の琴乃と麻奈の直接的な交流であったことを考慮すると、琴乃に「ガムシャラでいい」と教えてくれた「君」が長瀬麻奈ではないとわかるはずだ。
 続いて川咲さくら=「君」とする考えがあまりもっともらしくないと考えた理由には、そもそもさくらが琴乃に対する救済を与える立場のキャラクターではないことが挙げられる。さくらと琴乃はライバル関係にあるけれど、あくまで別のユニットに属するアイドルである以上、互いに深くは踏み込まない。特に琴乃は、ふとした瞬間にコンプレックスを刺激されることもあり、さくらへ全てをさらけ出すことはできていない。最新のBIG4編でもそうした描写は見て取れる。そうした琴乃にドアを開かせるのは、いつだって月のテンペストのメンバーなのである。
 この項では、「未来模様」の二人称「君」が月のテンペストの4人であることとそう考える根拠について論じた。この楽曲は、琴乃の持つ未熟さも全部が長瀬琴乃の魅力であると受け止めた月のテンペストに、今後はその弱さも認めて歩んでいくと伝えている、と見ることができる。自分で自分を救済したさくらとは対照に、琴乃への直接的な救いとなったのは月のテンペストなのである。

楽曲の制作者(ユニット楽曲の二人称)

 続いて見ていくのは、それぞれの楽曲の制作者である。ただ一口に制作者と言っても、どのような比較が有用かは様々な意見があることだろう。今回は、「そのキャラクターの所属しているユニットの楽曲の制作者との関連」に絞って考えていくこととする。なんとなれば、アイプラではユニットごとにできる限り制作者を固定しているからだ(チョコラブキッスや星の海の記憶、一部の星見プロ10人で歌う楽曲などは例外)。まだこの観点を採用した理由にいまいち合点の行かない読者はいるだろうが、実際に比較に入りながらその過程で少しでもなるほどと思っていただけたら幸いである。

川咲さくらソロ楽曲「もういいよ」
作詞・作曲・編曲:田村歩美

サニーピースユニット楽曲※
作詞:藤村鼓乃美、北川勝利
作曲・編曲:北川勝利

※サマーホリデイ、SUNNY PEACE HARMONYのそれぞれでここに記載していない方が一回ずつ計2名参加しているが、藤村氏はSUNNY PEACE HARMONY以外の全ての楽曲に、北川氏はサニーピースの全楽曲に参加しているので、ここではこの二人のみを考慮した。星見プロ10人で歌う楽曲の多くにおいて、作詞を月スト全曲に参与している利根川氏が、作曲を北川氏がそれぞれ担当していることからも、より北川氏をサニーピースの楽曲担当者と呼んで差し支えないだろう。

長瀬琴乃ソロ楽曲「未来模様」
作詞:利根川貴之
作曲・編曲:ミト(clammbon)

月のテンペストユニット楽曲
作詞:利根川貴之
作曲:利根川貴之、坂和也
編曲:坂和也 & Wicky.Recordings

 こうして列記してみると、読者諸賢は何を言いたいのか薄々感づき始めていることだろう。さくらのソロ楽曲では一切制作者が共通していないのに、琴乃のそれにおいて作詞担当者が重なっている点、まさにそれこそこの節で私が取り上げたい差異である。すなわち、「もういいよ」はサニーピースの系列に入らない一方で、「未来模様」は月のテンペストの一連のユニット曲と同系統の楽曲としてまとめることが可能であると考えられる。さらには、この違いからはそれぞれのユニット曲がどのような構図を持っているのかを逆説的に導き出すこともできるのだ。以下では、第一節同様さくらと琴乃それぞれ分けて見ていく。

1.川咲さくらソロ楽曲とサニーピースユニット楽曲

 さくらのソロ楽曲がユニット楽曲と全く関係ないクリエイターにより制作されたことは、誰がどのキャラクターの曲を作るかに他ジャンルに比べより重きを置いているアイドリープライドにおいて何かしらの意味があると考えるべきだろう。ユニット楽曲とソロ楽曲とで制作者が異なるため、当然ながら両者の曲調は大きく異なっている。ゆえに、第一節で論じた「もういいよ」の構図から、サニーピースのユニット曲では川咲さくら個人の救済は歌っていないと言うことができるのではないだろうか。また、アルバム「未来」に収録されたもう一つのソロ楽曲・兵藤雫の「drop」の作詞作曲編曲を担当しているサクライケンタ氏も、田村歩美氏と同じくユニット楽曲には一度も参加していない。これらの事実から私が考案した仮説は、サニーピースは5人集まって初めて「サニーピース」になることができ、一人ひとりを見た場合にはサニーピースとはまた異なる色を見せるユニットである、というものだ。
 本編においても、サニーピースは「他の誰でもないこの5人が出会ったことでできること」を軸としていることがわかる。ゆえに、5人が集まって歌うユニット曲は個々人の歌う楽曲では出せない、全く違ったものとなるのも必定だ。サニピの楽曲において、サニーピースの全員が「私」ないし「私達」であり、「君」が同じユニットの他のメンバーを指すようなことはなく基本的にファンを始めとする「サニーピースのパフォーマンスを見てくれる自分たち以外の人間全員」を対象としている(EVERYDAY! SUNNYDAY!のMVではそれぞれの歌詞がどのメンバーに対応しているのかがわかるようになっているものの、歌詞を見るとどの部分も全員に当てはまるよう書かれていることがわかる。また、一部の「君」はファンだけでなく「過去の自分」も含んでいると見ることも可能だ。しかしいずれもユニットの他のメンバーではなく、かつ、この「過去の自分」は「もういいよ」とは異なり自分の一部ではなく完全な他者として認識されているため、さくらのソロ楽曲との構図は同質でない)。サニーピースのメンバーは常に一人称視点だからだ。「皆の笑顔のために」ステージに立つサニピらしいと言えるだろう。雫のソロ楽曲に登場する「みんな」はサニピの楽曲における「君」に近いと思われるが、歌詞のワードチョイスや曲調は大きく異なっており、やはりさくらの「もういいよ」と同じくユニット楽曲と同一の分類はできないとして良い。少なくとも、さくらのソロ楽曲で歌われている過去の自分からの旅立ちは、ユニット楽曲では触れられていない部分と言える。
 サニーピースのユニットでの曲とさくらのソロ楽曲との間にある差異は、決して小さくはなく、そしてその違いは意図的である、と私は見ている。サニーピースでは5人全員が「私(達)」で一人称、そしてファンなどパフォーマンスを見ている人間(時間軸は現在に限定されない)を「君」としている。その一方で、さくらのソロ楽曲では既に論じた通り「私」も「君」も川咲さくらに他ならない。5人集まって生まれる色は、一人だけの時に生まれるそれとは全く違っていて、川咲さくらのソロ楽曲はその最たる証左であるのではないか、というのが私の考えだ。

2.長瀬琴乃ソロ楽曲と月のテンペストユニット楽曲

 さて、ユニット楽曲とは異なる人たちにより制作されたさくらのソロ楽曲とは対照的に、琴乃の「未来模様」は月のテンペストの全楽曲で制作に携わっている利根川氏が作詞を担当していた。さくらの場合と照らし合わせるなら、月ストのユニット曲では月のテンペストによる長瀬琴乃の救済が歌われているのではないか、と考えられる。言い換えれば、月のテンペストの楽曲で描かれる構図は「未来模様」と本質的に同じである。代表例は「Daytime Moon」だろう。
 アルバム「未来」に収録された同じく月のテンペストに所属している早坂芽衣と成宮すずのデュエットソングや白石姉妹の楽曲の制作者がいずれも月ストの楽曲制作には一度も関わっていない方だったことも、この裏付けとなる。つまり、利根川氏は月ストの関わる楽曲なら全てに何かしらの形で参加するわけでは決してないのである。むしろ、さくらや雫のソロ楽曲と同じく、ユニット楽曲とは共通していないクリエイターにより制作される方がアイプラにおいて主流であるとも言える。利根川氏があえて「未来模様」の歌詞を担当したことに何かしらの意味があると勘ぐるのも、あながち完全な拡大解釈とまでは言い切れないだろう(なお、芽衣と怜の歌う「ココロDistance」の制作者は利根川氏を始め月ストの面々と完全一致である。これについて私はまだ説得力のある解釈はできていない)。
 話は逸れるものの、実は月のテンペストの楽曲における人称の対象の理解はアイプラファンの中でも人それぞれに解釈が分かれやすい。私はその原因として、その歌詞パートを歌っているメンバーによって、「私」や「君」の表す客体が変わっているからであると推察している。つまり、多少の例外はあったとしても、月のテンペストの楽曲における一人称および二人称は次の形で一般化できるはずだ。すなわち、私の考えに従えば、琴乃の歌うパートにおける「私」=長瀬琴乃、「君」=月のテンペストの4人であり、逆に琴乃以外のメンバーが歌う場合の「君」=長瀬琴乃、「私」=月のテンペストというユニットを指している、となる(5人で歌っている場合には両方の意味が成立する)。そして、「未来模様」の作詞担当者が月のテンペストの楽曲制作にも参加している利根川氏である事実は、この仮説を補強しうる。「未来模様」と同系統として良いならば、当然月のテンペストのユニット楽曲も、完璧ではないながらもガムシャラに走っていた琴乃とそんな彼女だから一緒に走ろうと思えた月のテンペストという関係性を描き出していると言えるからだ。
 さらに、芽衣とすずの二人や白石姉妹の歌っている楽曲が月ストとは関係のない制作陣による作品であることも、これにより説明することができる。月ストのユニット曲が「長瀬琴乃と月のテンペスト」の関係を歌ったものであるとすれば、例に挙げた二組の関係性は月のテンペストの系列に含まれない。そこに琴乃と月ストの救済関係は存在しないからだ。これは、少しさくらや雫のソロ楽曲とサニーピースのユニット曲との関係に似ているかもしれない。
 以上より、長瀬琴乃のソロ楽曲制作者に利根川氏の名前があることから、月のテンペストの楽曲自体が「未来模様」と同様に、長瀬琴乃と月のテンペストの関係性を描く構図を持っているとするのはそこまで乱暴な発想でもない、くらいには思っていただけただろうか。月ストの楽曲の人称を当該歌詞を誰が歌っているかによって判断する、との考えは、本記事では具体的な議論まではしていないものの、ある程度のもっともらしさは保証されているように感じられる。琴乃以外の月ストメンバーの参加している「shiny shiny」や「繋がる心Binary」との比較からも、この案は裏付けられることができるだろう。ただし、「ココロDistance」などの反例も存在し、現時点では一概に正当性が主張されるべきものではなく、今後の楽曲やメインストーリーの展開によりさらなる改善が求められる。

終わりに

 本記事では、川咲さくらと長瀬琴乃のソロ楽曲の比較から、両者と各々が所属するユニット楽曲との関連を論じてきた。さくらの”覚醒”に直接関与したのは誰だったのか、逆に琴乃は誰から救済を得ていたのか、そこから派生してユニット楽曲ではどういった構図が読み取れるのか、こじつけにも近い内容にも思われたことだろう。ソロ楽曲がまだほとんど発表されていないこともあり、単純なデータ不足があるのは否めない。反例に対しても十分な検討ができているとは到底言い難い。今までの記事以上に多くの反省が見られるので、今後の展開次第ではあるが、納得いく説明が可能となった時、新たに記事を執筆したい。ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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