嫌なガキだ。だが好き好んで嫌なガキになる奴などいないのだ

 まぁつまりどういうことかというと、幼少期の俺は本当に何もかも気に入らなかった。気に入っている事物などそれこそ「恐竜」ぐらいしか存在しなかった。それ以外の森羅万象は俺にとって嫌悪と軽蔑の対象だった。そこに理由などない。とにかくひたすら嫌だった。生きるとはこんなに苦痛に満ちたものなのかと茫然とした。当然ながらクラスメートとかも軽蔑し切っていたので、こいつらのように嫌だからと言って野放図に感情を振り撒き、周囲の人間に譲歩を迫るような最低のカスにだけはなるまいと思い、嫌悪と軽蔑の念を押し殺して、本心からの自己主張と言うものをとにかく自制してきた。自らの感情を律し、周りの人間に心無い言葉を投げかけることのない自分はなんて理性的で慈悲深い人間なのだろうと思った。それが俺にとっての自尊心であり、周囲を軽蔑し抜く根拠であり、自分の生存を赦す理由だった(自分自身も嫌悪の対象だったから)。ところがこれはとんだ誤解で、他の人間は俺のように森羅万象を嫌悪するようなことはなく、特に自制心を働かせずとも周囲の世界とそれなりに折り合っていける精神構造をしているらしいということが徐々に理解できて来た。つまるところ俺の嫌悪は恐らく病的なものであり、興味や好感を抱く範囲が恐ろしいまでに狭すぎる、特別に器が小さいだけの

 時間切れ。

(人間であることがわかった。自尊心の根拠となる高潔さなどどこにも存在しなかった)

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