別にどうもならないという地獄

 じゃあ死ななきゃならないじゃないですか。俺の自己評価は「死んで当然のカス」なので、「周囲のカスさを許容し、自分のカスさを押し付けない」という唯一の自分を赦す理屈が崩壊したんだったら、死ななきゃならんじゃないですか。死ぬわけないんだよなぁ。信念上許されないはずの、生存へしがみつく怯懦ゆえに、今俺は生きている。自分自身のカッコよさを担保する根拠すら失い、俺は絶望した。いやごめん、別にそんなカッコいいものでもないけど、まぁ凹んだ。そしてどん底に落とされた人物は、その逆境をバネに、なんか成長なり新たな悟りなりを得ていい感じになるのが物語のセオリーであるが、絶望は俺にその種のポジティブな変化を一切もたらさなかった。何一つ成長などなかった。相も変わらず俺の病的な嫌悪は目に映るものすべてを排斥せよと終始訴えかけてくることに変わりはなかった。それが正常なものではなく、他の人間はそんな、何もかも嫌悪一色の色眼鏡で見るような病気に犯されてなどいないという自覚を得てすら、俺の病状になんの改善もなかった。絶望はただ俺をどん底に叩き落としただけで、何の救いにもならなかった。その結果どうしたかって? 別にどうもならないよ。今これを書いている俺もまた、何の変化もなく嫌悪と軽蔑を自制することが精神活動の過半を占める

 時間切れ。

(人生未満の何かを過ごしているだけである。こんな話をしてどうしたいのか? 別にどうにもならないよ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?