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※個人の感想です

 唐突にキャラクターとしてのキリストの話をしよう。まぁ、日本人はあんまキリスト教化されなかったじゃないですか。サブカルチャーとかで、なんかファンタジーとかだとキリスト教的宗教はだいたい押しつけがましくて独善的で残虐みたいなイメージで描かれること多いじゃないですか。まぁ、俺も特にキリスト者でもなんでもないというか無宗教ですが、いったいなぜこのキリスト物語は全世界の人々を熱狂させているのか、その理由にはやや興味があったわけなんですな。でまー、最近思ったのよ。紀元元年にキリストはんが現れるわけじゃないですか。まぁキリスト教の発祥はもうちと後なんだろうけども、「俺たちは本来地獄行き確定だが、それをどうにかするためにキリストパイセンが犠牲になってくださったのだ」この教えはかなり衝撃的だったのではなかろうか。当時の人々の宗教事情を考えるとさ、まぁ北欧神話とかギリシャ神話とか、そのへんのアレじゃないですか。あいつらマジでただのDQNですよねぶっちゃけ。クッソ機嫌のいい時には鼻ほじりながら助けてくれることもありますけど、基本理不尽な理由で人間にひどいことばっかしてるじゃないですか。なんでまたそんなDQNキャラにしちゃったのか、これはこれで不可解ではありますが。ともかく俺たち人間のためにそこまでしてくれる神が果たして今までいたか!? 身銭を切ってくれる神がいたか!? ってなったと思うわけですよ。「全人類を救うためにただ一人犠牲になった男」。この悲劇性を帯びたヒロイックなキャラクター造形の巧みさは、当時もはや天地がひっくり返るような衝撃だったのではなかろうか。俺もこれはカッコイイって思うもん。そらちょっと独善的にもなりますよ。キリストパイセンマジリスペクト勢からしたらおめー、他の神話の神を報じてる連中とかマジ頭おかしいとしか思えませんわ。おいフザけるなそんなDQNあがめてんじゃねーよアホかそんなん悪魔だ悪魔ってなりますよ。多神教の神々はマジで言われてもしょうがないことをしてますよ。

 それからもうひとつ理由があるように思える。三位一体システムである。キリストは神であり人でありこの世の形成する原理でもあるという考え方。これら三つは、我々人間には別個のものにしか見えないが、本質的には等しい存在であるという特異な設定。これが効いたのではないか。だっておめー、人が信仰対象に求める像ってのは人によって違うわけじゃないですか。なんか天上にいるいかなる形容も不可能なものスゲー存在であってほしい派もいれば、いやいや血肉を備えた共感可能性の高い等身大の存在であってほしい派もいるわけじゃないですか。それらすべての派閥を取り込むことができるわけですよ。この三位一体設定を考案したのがどこのどいつなのかは寡聞にして知りませんが、マジで天才の発想だと思います。常人にこれは思いつかない。

 結論として、キリスト教はキャラ造形と設定の妙において卓抜しており覇権を取るべくして取った大正義コンテンツであったと言うことができるわけですな。キリストの裏番組どもはどいつもこいつもカウンターカルチャーに過ぎない身の程をわきまえるべきそうすべき。

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