父になって父のことを考える

今日、娘のおむつを替えたら新しいおむつを敷いたところでうんちをした。目の前でされるのは初めてだったので嬉しく思いながら、またおむつを替えた。そしたら次はまたおむつを巻く前におしっこをした。なんとおむつ2枚を一瞬で捨てる羽目になった。うんちをしても、おしっこをしても、娘の一挙一動がかわいい。そんな日常を妻と笑って過ごしている。

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さて、こんな感じで子育ての日常をnoteを書こうと思ったのだが、やはりそもそも僕がどんな父親になるのか、いま現在どんなイメージを抱いているのか書いた方が良いような気もする。所信表明、といったところかな。

僕が父親になる、ということを想像するときには、やはり僕の父親のことを考える。子供目線で理想的な父親では決してなかった。一つ一つのことをここに書いてもあまり意味はない気がするが、日常的に夫婦喧嘩が多かったり、子育てに失敗したと思って母に全てを任せて自分は関係ないという態度を取ったり。大学で教鞭を取って「自由・平等・博愛が俺の根本思想だ」と曰う理想家で、様々な思想や理想が挫けたときにナイーブに傷つきまくる人だった。傷ついたら伴侶や他人を躊躇なく攻撃する人だった。全く博愛精神に欠けていたが、自己矛盾に気付かないくらい自分に甘かった。いや、どこかで気付いていたからこそ苦しかったのかもしれない。苦しみを世の中への怒りや呪いに換えて生きていた人だった。そう言えば、ほとんど反抗しなかった僕が大学生になって初めて明確に反抗したとき、包丁を持って僕の部屋に入ってこようとしたっけな。母が文字通り必死に止めて部屋には入れなかったが。もう父は故人になり死に至る過程で家族というコミュニティは完全に崩壊したが、これはまた別の話なので割愛する。

「自分の親なんだから尊敬するところはどこかあるでしょ」と友達は言っていたが、それがすぐに腑に落ちないくらい、僕は自分の父を否定的に見ている。例外を挙げておくと、食事中にしょっちゅう学問的な話(あえて「的」と入れている)をしてくれてそれは大概楽しかった。一人で夢想を語ってくれているだけなら無害だし、聞いているだけなら楽しい。ともあれ、自分は反面教師として父を捉えているがその属性が部分的にでも自分に存在していることもよく分かる。理想家で、傷つきやすく、怒りやすい。だからいつか自分の父のようになるのではと常に恐れている。どこでどのように考え、生きていけば、家族が崩壊しないのかよく考えている。

じゃあ家族ってそもそも何だろう、とも思う。父がいた頃の我が家は恐怖がいつもどこかに存在していた。そんな家族が「理想的な絆」で結ばれているはずもない。晩年、身体の自由が効かなくなった父は一層「理想的な家族の絆」を求めたが、それに応える心の余裕は僕にはなかった。「家族だから」という言葉に何を思うのか人それぞれかもしれないが、そこに無条件に奉仕する精神を見出すのであれば、その考え方を僕は好まない。夫婦が契約で結ばれる一方で、親子は単に「自然発生として」出来上がった関係だ。ある意味ではたまたまお互いの人生に一緒に乗り合わせただけとも言える。

それをより感じたのが、出産後に妻が実家にいた数週間だ。1ヶ月近くひとりで暮らしていたら、事実として家族がいるのはわかっているが、肌感覚として僕は独身時代の一人暮らしの感覚に戻っていた。おそらくもっと続けば家族を忘れる。そのとき家族は良くも悪くも「幻想」のようなものだ、と思ったのだ。離れていれば簡単に忘れる、でも一緒にいればその幻想を共に育むことができる。幻想だからって別に悪いことはない。時間をかければかけただけ、その関係性は貴重である。John Lennonが「子育ては質より量だ」と言ったとどこかで聞いたことがある(事実は知らない)。まさにそういうことだと思う。

ということで、今は「質より量」を子育ての軸に考えたい。前半に書いた僕の父にならないようにするために何が必要なのかはまだよく分からない。家族のベースはやはり夫婦関係だろう。両親の関係が良好であれば子供はそれを足場にして自由に動けるはずだ。だから妻のことを大事にしようと努力したい。好きな相手なのに努力とは、と思われるかもしれないが、長い夫婦生活で必ず努力が必要な場面が多くなるだろう。ある種の諦念も必要かもしれない。理想を見ると現実とのギャップに苦しみ、その原因をどこかに探そうとするから。目の前にある現状をまずは受け容れる、ことができるかどうか。

あとは「子供がやりたいことを優先する」。僕自身が自分の弱さもあって、親の意向から逸れたことをなかなかできなかった。僕の両親はどちらも観念的というか、思想的なところがあって、思想的に好ましいかどうかで子供の進路を判断していたところがある。それで僕を含めた子供たちは一定の社会的成功を収めているとも言えなくないが、幸せかどうかは全く別である。子供のエネルギーがどこに注がれるのか、注意して見ておきたい。

将来娘がこのnoteを見たときに笑うかもしれないな。「全然そんな親になってないでしょ」って。まぁ今は頑張ろうと思ってるよ。


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