子どもの成長とキリンの首は非連続か

生後6ヶ月を過ぎ、我が子は毎日ものすごいスピードで成長している。足を掴むことができるようになり、その足先を口まで持っていけるようになり、寝返りができるようになり、そこからまた仰向けに戻れるようになった。首だけのブリッジも頻繁にやるようになった。

こうやって書くと「徐々に連続的に成長している」ように思われるかもしれないが、親の実感としては「突如できるようになった」印象が強い。寝返りができる/できない、というのは一進一退だ。出来たり出来なかったりを繰り返すので「ちゃんとできる」とは言えない状態が続く。しかし、ある日から急に寝返りを何回もするようになる。「たまたまできることがあった」状態から、突然「自分の意志で自由にできる」状態になったように見えるのだ。

寝返りに限らず、ある日を境に「自分が笑うと親も笑う」ことを理解しているかのように僕に笑いかけてくるようになった。バラバラに学習していた事柄がある日統合されて、目に見えるひとつの行動に現れるような印象だ。

アプリケーションに例えると(そんなものに例えんなよ、と言われそうだが)、バージョン1.1から1.2、1.3ぐらいまで順調に連続的にバージョンアップしていたところで、1.4以降はすっ飛ばして急にバージョン2.0になって全体的にアップグレードされました!という顔でやってくる感じに似ている。

少し話は変わるが、子どもの成長は個人差が大きいとは聞いているが、「6ヶ月〜8ヶ月くらいにはこんなことができる」と書かれていることが順当にできるようになっていくのは、ある意味では驚くべきことでもある。乳幼児の成長がある種プログラム的に進んでいくことは、不思議といえば不思議だ。骨格や筋肉が発達する順番とかその強度、そして脳での学習の順番とか、そういう色んな発達が大体どの子でも同じように進むからこそ、「何ヶ月くらいでこんなことができる」というタイミングが揃うのだ。

「そういう発達過程を経るように進化した」と言われればその通りだが、この過程を獲得するまでにどれくらいの年月がかかったのだろうか、と考えると果てしない気持ちになる。おそらく人が人になる前から仕込まれていた部分はあるだろう。受精・着床してから人の形を形成する発生の過程でも同じ話である。子どもがお腹にいる頃からよく思っていたが、妻の体内で幾万もの分子が規則正しく働き、我が子となっていく。ともすれば発生がストップする(流産する)段階がいくつもあるけれども、それを乗り越えていく遺伝子のプログラムはいかほどに膨大かつ精緻なのか。

そういえば、生物の進化は連続か非連続かという議論を耳にしたことがある。キリンの首は徐々に長くなったのではなく、急に長くなったのだ、という説があるらしい(本当かどうかは調べてみてください)。バラバラに獲得してきたことを統合して急に全く新しいことができるようになる、ということを生き物は繰り返しているのかもしれない。

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