SNS力が低い&ろくな話をしないから登録者が増えない話

 ……今どきのVtuberってやつはSNSで「Vtuber準備中」というタグで繋がってある程度人が増えた所でデビューするそうな。そんなことも知らん、2012年7月からニコ生してる私は「新人Vtuber」のタグも使えずに何呟いたら良いのかわからずにもやもやしている。

 2012年ということは10年のうちに登録者数や認知度があるかというとそんなことはなく、ただただ普通にゆるく配信者しているので、伸びなんてものは無く、友達もいないし、友達使って伸びようともしないので、ただただメンヘラで無職でどうしようもないけれどセルフ受肉で半Vtuber化したような私が生まれた。

 私はVtuberなのか、基準がわからずもやもやしていたが、最近は諦めてVtuberと名乗るようになった。Vtuberです仲良くしてください。

そうしているうちに、自分とは何か、配信画面に何を載せるべきなのかで悩むようにもなった。

 マイクを使って喋る配信をすると、無言でゲームをする配信をすることに罪悪感が生まれる。黙ってやってもいいし、配信者が勝手にやってることだから、リスナーが言うことでも無いんだけど、何か喋らないといけない気がして、マイクで喋れる時間帯にしか配信が出来ない等の問題が生まれている。これは放送初期からの悩みであって、今のVtuber活動に限ったことではない。

 ここ数年、一度アバターを出すと、アバターの無い配信を取るか取らないか考えてしまうようになった。Vtuberがアバターを出すことのメリットはリアルタイムで画面の向こうに人がいると認識できること、ファンアート等でイメージの統一化が図れること、そしてYou Tube等で「繰り返しのコンテンツ」にならないように画面に変化を与えられることだと思う。
 普通にアバターを出さなくてもBANされたり、怒られないのに、画面に立ち絵の一枚も出さないのは良くないのではないかみたいな気分になる。
アバターを出す出さないに何の罪も無いはずなのに。勝手にそうなる。
ここまで来るとアイデンティティの問題だ。

2023年のアバター

 私は配信することを渋っている。アバターだったり声だったり、条件が合わないとすぐに配信をすることが出来なくなる。だけど、生放送の活動というのは続けることが大事であり、その中にあたり回があれば良いのだ。
どんなに悪い放送だと自分が思っても誰かがあたり回であると認識できる回があればいい。
 人間誰しもわかっているけれど出来ないことというのがある。人を不快にしてはならないとかもそう。
私の雑談は基本的にその日その場の気分でやるため、楽しい話を常にしているわけではない。むしろ暗い話ほど自分の性質上拾ってしまう。

そうすると人は寄り付かなくなるだろう。

登録者100人集めるのに4ヶ月はかかった。

同じペースで行けば収益化まで数年単位になるだろう。そして今のままでは同じペースは二度と来ない。

 たまに人気配信者が「伸びる方法」というのを語ることがある。それ曰く、完全に運であるらしい。確かにそうだ。自分のことを見てくれる人達を集めるには沢山の人に見て貰う必要がある。

では今、私のYou Tubeは誰が見ているのか。

確認すると登録者が9割強。

新規はあまり見ていない。

新規のリスナーを増やさないと登録者数は増えない。
当たり前のことだ。

では新規はどこからやってくるのだろうか。
そこが問題だ。

noteで釣れるわけもない。

サポートするとヒキニート生活が少しだけマシになる。