#76_【視察】若松鉱山跡見学記
前号記事の続きになりますが、さる10月22日(日)開催の「廃墟景観シンポジウムvol.2」で訪れた鳥取県日南町にあります若松鉱山跡を見学させていただきました。
鉱業は採掘権が絡んでいたり、作業などにおける安全の確保や環境保全が義務づけられていたりと、行政による監督の下で行われている事業ですので、仮に跡地であっても、おいそれと簡単に入れるような場所ではありません。少し考えれば当たり前の話ですが、このあたりも馴染みがないと想像が働かないものです。ともあれ、保全・継承活動に取り組み、一般の人々に向けて発信活動をされている地元の方には頭が下がります。
廃墟は人が去った場所であるがゆえ、構造物が朽ちたり、草木が生えたりと行きにくい場所となってしまい、大人数では入れません。
いくつかのグループに分かれて見学をしました。
私は鉱山の新参者ですので、他の参加者の方が何に着目しているのかを見るだけでも新鮮でしたが、廃墟マニアとも明らかに違うリアクションをされる方も混ざっていました。転がっている機材を見るなり「このロールクラッシャー新品じゃね⁉️ほしいけど、ウチのはもう少し直径が小さいなぁ…。」とブツブツ言いだしたり。伺うと、その方は鉱山を経営されている方でした(゜o゜;;。
せっかくですので、ついでに用途や新品と使い込んだモノの違いなども教えてもらいました。大人の社会科見学では、プロの方がいらっしゃると、面白さが倍増します(o゚▽゚)o。
1960年代の最盛期には100人以上が働き、ふもとの多里集落には、映画館やパチンコ店、飲食店などが並び、大相撲の巡業も行われたほどだったそうです。そういえば、かつての賑わいを伝えるたとえに、なぜか映画館やパチンコ店がよく用いられますf^_^;)。
ガイドの方の話によりますと、若松鉱山では軍艦島のように24時間三交代みたいな稼働のしかたはなかったそうですが、日が長い夏場は鉱山での仕事が終わった後に自分の田んぼの農作業もしたり、山間部ですので冬になれば雪かきで一日の仕事が終わったりと、また違った意味で働きづめていたそうです。当たり前のことのように話されていて、本当に頭が下がります。
そして、時が経つほどに、モノだけでなく人々の記憶も風化していきます。
風化を進ませないために、過去の資料や記録をどのように残し、活用していくのか、残された時間に対してやらねばならないことは山積みですが、私が廃墟から感じ取った魅力を、対馬からも発信できるよう、取り組みを考えていきたいと思います。
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