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#47_【イベント】対州馬の催しが目白押しです(^^ )

対馬には、日本在来8馬種のひとつである「対州馬(たいしゅうば)」という馬がいます。現在その数は50頭ほどと、実はツシマヤマネコよりも少ないのだそうです。
馬といいますと、サラブレッドで連想される方が多いと思いますが、在来馬の馬体はそれより小ぶりになります。対馬では、トラクターや軽トラックが普及するまでは、農耕や運搬に活躍していました。林業では、馬搬だと、道を整備しなくて良く、機械が入りにくい場所にも入れるというメリットがあるとか。
40年くらい前までは、坂が多く道が狭い長崎市内で、対州馬が引っ越しの時に活躍していた、なんて話もあるそうです。

近年生活の中で馬が活躍する場面はなくなってしまいましたが、そんな世の中でも対州馬のことに関心を持ってもらおうと「対馬と対州馬の歴史トークショー」が、2022年2月からオンラインで参加者、専門家とつなぎ開催されています。
対馬市島おこし協働隊として、対州馬の治療や調査研究、乗馬体験をはじめとしたイベントなどの活動をしている吉原知子さんが中心となって運営されています(吉原さんは、獣医師でもあります)。

どういうわけか、いつも他の仕事やらオンライン会議やらと重なり参加できなかったのですが、6回目にしてはじめて予定が重ならなかったので、おじゃましました。

【もう6回も開催されています。】
【馬と一緒にいて幸せそうな吉原さん。】

今回は、長崎県対馬歴史研究センターの山口華代学芸員と、横浜市にある馬の博物館の金澤真嗣学芸員を講師に、対馬や馬の博物館で所蔵されている対馬藩宗家の古文書や馬術書、馬具資料を、馬具の装飾や使用された痕跡などにも触れながら、武家社会における馬の位置づけをご紹介いただきました。
武士の嗜みといいますと、「鷹狩」は聞いたことありましたが、乗馬も武士のステイタスを表すものだということを初めて知り(単に私が無知なだけという話もありますが)、勉強になりました。

最近廃墟界隈では、根岸競馬場がアツイようで、馬の博物館はその近くにあります。根岸競馬場は、日本初となる常設の洋式競馬場で、航空写真で見ると、いまでもその痕跡が垣間見えます(そういえば、目黒競馬場の跡も、トラックくらいは分かりますね。Google先生、恐るべし)。
次回横浜に行くときには、そちらと合わせて見学したいと思いました。

そして、対馬人にとっての大きなトピックスは、馬の博物館に宗家旧蔵馬術(そうけきゅうぞうばじゅつ)関係資料が所蔵されていることでしょうか。
過去に宗家関係資料の一部が散逸したということがありましたが、どのような経緯で馬の博物館に流れてきたのかが興味深いところです。しかも、保存状態もかなり良いとか。
馬の博物館には、概要目録上300点余りがあるそうですが、現在金澤さんはその再整理をしており、目録を作成し、広く様々な専門家の方々からご意見を募りたいとのこと。これをきっかけに、世紀の大発見が生まれたら面白そうですね(o゚▽゚)o。

さて、最近対州馬が写ったポスターが、対馬のあちこちに貼り出されていますが、8月11日(金)から、対馬博物館で「対州馬展」が予定されています。
吉原さんは、現在その準備も進めています。どこからそんなエネルギーが湧いてくるのかと思いますが、馬と暮らす夢を叶えるために移住してきただけのことはあります。
ちなみに、初日の14:00~ミュージアムトークが予定されています。

【対州馬展のチラシです。】
【ウラです。】

会期中には、乗馬体験などの関連イベントも企画されていますが、8月26日(土)のシンポジウムには、なんと中央競馬における最多勝記録を保持する岡部幸雄元JRA騎手がご登壇なさるそう(゜o゜;;。

【対州馬シンポジウムの内容です。】

吉原さんに、活動の原動力は何かと質問したところ「乗馬や馬とふれあって癒やされるなど、馬に興味を持ってもらえる窓口を多方面から作っていきたい」と話していました。
「歴史」というジャンルは、一見あまり関係なさそうに思えますが、対馬藩宗家と馬との関係もそうですし、一昔前の対馬の暮らしと馬は密接に関係していましたし、日本にはじめて馬が入ってきたのは対馬ではないか、という話もあったりして、掘り下げていくと色々なこととつながっていきます。
マニアの巣窟である対馬でなら、ほかにもかけ算をすると、とんでもない答えが出てくるかもしれません。

馬も気になるマニアのみなさま、対馬にお立ち寄りの際は、ぜひ対州馬くんにも会いに来てくださいo(^-^)。

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