センチメンタルな旅、古本屋の午後
「そういえばここに、小さな本屋があったな」
と思う。
何度も文庫本を買ったことがあるし、雑誌の立ち読みもした。私鉄沿線の大学町の街角だ。本屋の横にはクリーニング店もあったが、それももうない。町が寂れたわけではなく、移り変わっているということだろう。僕も雑誌の立ち読みはしなくなった。
思えば、新刊書店が数をへらすまえに、古本屋が姿を消していった。
ところが最近、都市部ではこだわりの古本屋をあちこちで見かける。以前のように無口な親爺が奥の席で店番をしているという感じではなく、年代物の古書や稀覯本をあつかっているわけでもない。小洒落たアンティークショップでも営むような感じで、店主も若い。
僕の暮らす港街でも、老舗古書店がいくつも廃業し、それから20年ほどをへて新しい形態の古本屋をだしている。
ある日の午後、そのひとつに足を踏みいれた。入り口の近くは、映画関係や舞踊関係の本があって、その奥に思想書・文芸書がならんでいる。なかなか楽しい。書棚の高みに画集・写真集もあった、そこに写真家・荒木経惟の『センチメンタルな旅 春の旅』を見つけた。2010年に刊行されたものだ。
このあと、写真集の名前が何度かでてきますが、それぞれ微妙に異なっています。年代ごとに似たような名前で刊行されていて、それらはテーマは同じだけれど、中身が移ろっていっているわけです。
さて、アラーキーの愛称で知られる荒木経惟は1940年、東京・三ノ輪に生まれ育った。下町である。父は下駄職人だった。多くの写真賞をうけてきた著名な写真家だが、その作風は幼少時の環境が多分に影響しているだろう。下世話で、愛おしい。人間臭いのだけれど、同時にどこかしら彼岸の世界のようでもある。
荒木は千葉大学工学部写真印刷工学科を卒業し、電通に宣伝用カメラマンとして働きはじめた。やがて同僚だった女性と結婚し、その結婚式や新婚旅行の様子を写真集としてまとめたものが『センチメンタルな旅』だった。1971年に私家版として刊行された。
それから約20年がすぎ、1990年に『センチメンタルな旅 冬の旅』を出版。これは2部構成になっていて、 妻の陽子さんが亡くなるまでの数か月間を日記風に記した「冬の旅」と、前述の「センチメンタルな旅」を一冊にまとめている。ページをくっていくと、いずれもスナップふうのなにげない写真がならぶ。その全編にせつなさがしみている。写真のしたに記されている独白のようなコメントが、まるで写真家の息継ぎのようでさえある。
この写真集は、僕も家にもっている。
占い師をしていて、恋愛相談を応じていると、ふっとこのせつなさに出会うのである。どうにもならないあきらめと、それでもひとりで生きていかなければならないことへの、にじみでるような哀感だ。
古本屋で見つけたのは、この『センチメンタルな旅 冬の旅』の続編とでもいうべき写真集である。もちろん、もう陽子さんはでてこない。亡くなってから20年がすぎているのだ。写真に付された独白のようなコメントもない。ただただ猫のチロが登場するだかりだ。
チロというのは、亡き妻陽子さんの実家で生まれた白い猫で、1988年にそれを引きとって2010年まで生きた。『センチメンタルな旅 春の旅』は、愛猫チロとの最後の日々を写真に綴っている。70歳になる老写真家と老猫との暮らしだ。
写真家の暮らす家の、がらんとしたルーフガーデン。それは「冬の旅」にも登場した場所で、それをふたたび目にすると、もちろん訪れたことはないけど、懐しい思いさえある。あぁこの場所、と既視感に打たれる。
やせ細っていくチロの姿は、僕自身が買っていた猫の姿を思いださせた。二十二歳で死んだチロには及ばなかったけど、十五歳と七か月を生きた。懸命にただ生きて死んでいくのだなぁと思う。
la grâce
というフランス語がある。恩寵というような意味だ。
言葉を持たないものは、ただそれだけで偉大にも思えてくる。生きざまを見せてくれて、ありがとうという気持ちがある。la という定冠詞をつけたのは、たんに恵みやありがたみというより、なにか見えない存在というものを想定したからだ。
ちなみに、荒木経惟の生家の近くには、投げ込み寺としてよく知られた浄閑寺がある。吉原遊廓が間近にあって、江戸時代には病気などで死んだ遊女が投げすてられるようにしてこの寺に運ばれたそうだ。
古本屋で見つけた『センチメンタルな旅 春の旅』は、ずいぶん眺めたあと、書棚にもどした。2万円もする古書を買える占い師ではない。僕もまた投げすてられる、という覚悟というか、諦観のようなものが薄く膜を張っている。
外はもう夏空だ。
日傘をさした女性が昼下がりの通りを、ゆらりと歩いてゆく。