「おいしい水」に関する一考察
世の中には「おいしい〇〇」シリーズが存在する。
「おいしい水」「おいしいお茶」のようにドリンク系が多く、一定の頻度で見かける商品たちだ。
しかしながら、私はこの商品名に違和感を抱き続けてきた。美味しいか美味しくないかを最終的に判断するのは消費者であるにもかかわらず、自らを「おいしい」と言い切ってしまうのは如何なものなのかと。(もちろん、それぐらいの気概がなければ、プロとして戦っていくのは難しいのだろうが)
だが、もし私がいち商品として陳列されるならば、ここまで強気に振る舞うのは気が引ける。次のような括弧書きをつけた上で、消費者に限りなく誤解を与えないようにしたいところだ。
「(当然ながらおいしいと自負しておりますが、味覚には個人差があり、あなたのお口に合うかどうかは未知数ではあることを考慮したうえでアピールさせて頂いており、決して本意ではないことをご理解頂けますと幸いですが、こちらも生き残りをかけておりますゆえ、このように言わせてください)おいしい水」
このくらいの葛藤と逡巡、はたまたジレンマを表現した方が幾分ドラマチックであり、その健気さが話題を呼び、売り上げがアップするかもしれない。
いかに消費者の心をくすぐるか、という点が群雄割拠の飲料業界を生き抜くポイントとなってくるはず。そう考えれば、上記の健気さはまさにうってつけ。何気なく陳列されたペットボトルが、申し訳なさそうに(しかし本音では買って欲しそうに)こちらを見てくるのが想像できやしないだろうか。
と、ここまでつらつらと持論を述べてきたが、最後に個人的結論。本当は商品名などどうでもよく、自分にとって美味しければそれでいいのである。
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