真剣な顔を笑われた話

事は中学時代になるんだけど。

その頃の私はクソ真面目だったから、体育の授業も真剣に受けてた。授業を真剣に受ける奴いまもいるんだろうか。グラウンドを4人でリレーしてた気がする。

前の人からバトンを受け取って、そりゃ一生懸命走った。足が速いわけでもないし、なんならちびで、どちらかと言われれば太っていた。そしてそういう奴の隣には大抵華奢なぱっつん前髪ワンカールボブガールがいる。これは私だけかもしれないし今回はどうでもいい。

ちょっと気になる男子と一緒のチームだったのもあった。良いところまでとは言わないがカッコ悪いところは見せたくなかった。


ちょっと話は変わるけど、中学生の女の子って前髪に命かけてない?あと触覚。

私の周りの子は休み時間になるたびに、トイレや水道の鏡の前で延々と前髪を梳かしたり、体育の前は時間ぎりぎりまで結んだ髪の微調整をしていた。

当時の私は自分の外見に無頓着だったのでダラダラと伸ばした前髪をばっつり真ん中で分けて耳にかけていた。結ぶときも一応触覚は出したが鏡なんて見ずに適当に結んで終わりだった。

なぜそんなに前髪や外見を気にするのかが分からなかった。他の人が前髪に神経質になっている時間がもったいないとか、ムダだと思っていた。今から走るのに、とかね。


その時の私に言いたい。この脳内お花畑の馬鹿め。


閑話休題


私はリレーを一生懸命走った。

風で捲れ上がった前髪なんて気にしなかった。

5月にしては暑かった。日差しに当たると顔が赤くなって、ちょっと腫れぼったくなるのに気づいたのはこの頃だ。

あと真剣になると無意識に眉間にシワが寄る、今はもうできなくなったが昔は十円玉を挟めるくらい寄せることができた。どうでもいい。

何が言いたいかって、私は体育という授業に真剣に真面目に取り組んでいた。力を抜くということを知らなかった。少しの見栄と多大な『何事も全力を出さなければならない』という自分自身でかけたバイアスに背中を押されてグラウンドを駆けた。

コーナーに差し掛かったとき、近くにいたクラスメイトが私を見て鼻で笑いながら言った。



「すげぇ顔」



今思えば、彼は見えたものがそのまま口から出たのだろう。

赤い丸顔が眉間にシワ寄せて歯食いしばって走ってきたら誰だって同じことを思う。私も思う。口に出すかは別だが。

なんかもう、顔を上げていられなかった。

途端に捲れ上がった前髪が気になって仕方がない。赤くなった顔も、無意識に寄る眉間のシワも、もう走っている姿ですら誰にも見てほしくなくなった。ただただ忙しなく動く両足を見つめながら残りを走った。バトンを次の人に渡してすぐに髪を手ぐしで梳かした。顔が赤いのはもうどうしようもなかったけど、なるべく下を向いて日に当たらないようにした。眉間のシワをとってとりあえずへらへらと笑っていた。早く授業が終わってほしかった。


彼女たちが前髪を執拗に構う気持ちが、ようやくわかった。

その時まで、私は思春期前の羞恥心の薄い子どもだったのだ。ガキだった。

結果と効率重視だった私が、おそらく初めて結果より見た目を強く意識した瞬間だった。


それから私は、真剣になるのがこわくなった。

無意識になってしまう表情はコントロールのしようがない。それを見られてまた笑われるのが怖かった。恐怖だ。

それからは、なんとなく微笑んで、なんとなく授業を受けた。真剣は炊飯ジャーに封印した。

最終的にこのジャーの蓋は何年か後に開くのだが、今もたまに閉まったまま開かなくなる時がある。弊害だ。

もう一つ弊害があるとしたらその頃の私はとても退屈だった記憶がある。世界がつまらなかった。ハリがなく緊張感もなく、とにかくつまらなかった。


今思えることだが、あの言葉は当時の私の心を相当に抉った。唯一の取り柄と言ってもいい真剣を封印するくらいには効いた一撃だった。

当時あの言葉を発した男子は要領の良い子で、なんでも全力な自分が、滑稽に映っていたのだろうか。

真相はわからないままだ。

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