センを
例えば、白紙に一本線を引く。
たったそれだけの行為を数百、数千、数万と繰り返し繰り返し繰り返し続ける。自分の命と、心の殆どを削って。
出来上がりは誰に褒められる様なものではなく、気にして立ち止まる者なんて余程の暇人ぐらいなもので。そんな現実に何度も胸の辺りから変な音がしたが、それでも辞めることは出来なかった。
憧れが沢山あって、理想が積み重なって、底が見えなくなって沈んでいく。藻掻けど藻掻けど浮上は出来ず、劣等感と孤独だけが友達面して寄り添ってくる。
誰かになりたかった、今もなりたいと思う。観客の私が村人Aに、名のある役に、なってみたい。1つだけでもセリフが与えられたなら、それは僥倖だろう。
心の中身を塞き止める栓を抜くと、たちまち溢れ出す名前も与えたくない感情。醜くて仕方がないのに、それが無いと自分が自分で居られないとわかる。濁っていて、きっと臭くて、感触も気持ち悪いであろうそれが、私を私たらしめている。
どんな時でも、いつも銃口がこめかみに突きつけられている、いつでも引き金は引かれる。自分で引くのか、誰かが引いてくれるのかは知らないが、常に銃口は終わりを与えようと待っている。
たった一本の線よりも軽い引き金。
たった一本の線よりも軽い自分。
一本一本では何の価値も持たない線に過ぎないが、重なれば重なるほど、連なれば連なるほどに価値を増していく。完成に至った「それ」はおよそ作品とは呼べない程度の落書きであろうとも、重ねた線の本数分の価値はある。
ただ、どこまでいけども、線一本の価値は線一本分の価値でしかない。
春は不安と仲が良い、何故なら希望に溢れているから。幸せとは、誰のものであっても往々にして、他の何かの不幸のもとに成り立っているのだから。
私は一本の線、たかが一本の線。消しゴムのワンストローク、なんなら一方通行で片付く程度の線。
線を引く、一本引けば一本分の価値が自分に与えられる気がして。
線を引く、重ねれば私も誰かと重なるような気がして。
線を引く、字は汚いから、声には出せないから、これしかない気がして。
線を引く、線を引く、線を引く、線を引く、線を引く。
いつか死ぬまで、線を。
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