100日目
遂に、と言っても良いだろう。毎日欠かさずとはちょっと言い切れないが、ほぼ毎日この100日間、日記を更新してきた。
少しの達成感と、ここまで続いてしまうような現状であることが悲しいという気持ちが今はある。
まずは感謝を、ここまでたまにでも、1度でもこの日記を読んでくれたアナタに、本当にありがとう。
ご存知の通り、内容はペラペラ、短すぎて短歌、急に始まる病みなど読んでいて苦痛を感じることが多々あったと思う。
それでも目を通してくれたアナタを、少しだけ読んでブラウザを閉じたアナタも、いいねをしてくれたアナタを、私は心から愛している。
とりあえずこれは日記なので今日あったことを、
代引きの荷物を受け取るように妹からお願いされていたのだが、お金が足りていなくて大慌てで家中ひっくり返して払った。
BiSHのベストアルバムをタワレコに買いに行って、ついでに発売されてたジャンプコミックスをいくつか買ってきた。ドクストとヒロアカが熱い。
久しぶりにマックを食べた、カナダのメニューが期間限定であったので頼んだのだが、めちゃくちゃうまかった、レギュラーメニューにして欲しい。
僕の住んでいる地域に避難準備の報せが出ている。そもそも高台に住んでいるのでどうすることも無いが、もし土砂崩れなんてしたら終わりだなぁとぼんやり思っている。結局人間なんてのは死にかけるまで死の実感は湧かないのだから、注意や備えってのは難しいんだろう。
さて、報告終わり。
じゃあ、お話をしよう。
僕とアナタとのお話だ。
エイプリルフールから今日まで、色々なことがあったね。もちろん、何も無い日もあっただろう。それも「なんでもない」があったということでパーティでもしようか。
例のウイルスは未だに広まり続けていて、大学のみんなと会ったのも片手で足りる程度。楽しみにしていたイベントは軒並み無くなり、働き口まで消え去った。世界はどんどん全て家の中で済むようにシステムが変わったり生まれたりしていて、僕らが学生を終える頃には全く新しい常識だらけの世界になっているかもしれない。
諸行無常とはよく言ったもの、当たり前の事なんて1つも無かった、眠い目を擦りながら友達と談笑しつつする通学も、好きなアーティストを生で見て涙する瞬間も、嫌々ながらも頑張って働いていたのも、人混みの中でマスクをせず歩けた日々も、元通りになるまで何年かかるか、それとももう戻ってこないのか。
残念に思うけど、これはきっとこれまでの世界で幾度となく起こってきた変化と同じだ。
常に世界は変わっていて、常に僕らも変わっている。
同じ瞬間なんて1秒だってない、変化の大きさが違うだけで、僕らは常に二度と戻らない瞬間を生きている。
変わらないことは難しい、変わることが全て良い事とも限らない、それでも僕らは生きることにしがみついていなければならない。
生きるということは、変わっていくということだ、変わり続けていくということだ。100日間のうち1日も同じ日が無かったように、僕が歩んだ21年と少しに、アナタの歩んだ人生に、全く同じ日が、同じ瞬間が無かったように。
僕らは絶えず進んでいる、前向きでも後ろ向きでも構わない、なんせ人生に前後なんてない、途方もない先があるだけだ。
僕は1人では歩めない、1人で歩くのなんて寂しすぎる。誰かがいて欲しい、アナタにいて欲しい、手を取ってくれとは言わない、支えてくれとも頼まない、見守らなくたっていい、ただアナタも進み続けてくれるならそれだけで十分だ。
100日とは1つの節目だ。あるワニは死んだし、百日祝いなんてのもある、連載100話目も大体祝うし、100歳なんて現代医学でも驚かれる歳だ。
そして、どんなモノにも終わりはある。そりゃそうだ、終わることも「変わる」という事なのだから。
でも、それはなんというか、そう、癪なのだ。
節目に綺麗に幕を閉じ、あーおつかれおつかれなんて言って終わるのは綺麗過ぎる。
人生なんてブサイクでなんぼなんだ、綺麗な死に様なんてらクソ喰らえだ、だからこんな所では終わらない、飽きるまで続けて飽きたら唐突に辞めてやる。
それが日記だ、意味の無い凡人の殴り書きなんだから、それぐらいが丁度いいんだ。
だからアナタも、たまにでいいから覗いてみてほしい、その時に終わっていたら「なんだもう終わってんじゃねぇか根性無し」と一蹴してくれても構わない、それは僕が「変わった」ということにほかならないのだから。
でもとりあえず、こんな時にはこういうのだ、
僕はオタクだから何回もこのセリフを聞いてきた、
その度に待ち遠しくて堪らなかったが、まあこの日記はそんな大層なもんじゃない。
それでも敢えて言わせて貰おう、では、
また次回、明日、お会いしましょう。
またね!
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