2日目

今日はバイトだ。こんなご時世でも休みになることもなければ、短縮営業すらもない。来店するお客様は全員自殺志願者だと思いながら接している。カウンセラー志望としてはいい経験なのかもしれない。

「まあ冗談は置いておくとして、貴方は『トロッコ問題』をご存知だろうか。
概要はこうだ、「とある炭鉱で暴走して止まらないトロッコが走っている。そのレールの先には五人の炭坑夫がおり、このままでは確実に死ぬ。しかしそのレールには分岐点があり、切り替えレバーを使えばもう一方の道にトロッコを避けることができる。しかし、もう一方の道にも炭坑夫が一人おり、これもまたトロッコが来れば確実に死に至る。切り替えレバーを操作できるのは貴方のみ、さあどうする」。
この問題は損得勘定で考えられたり、または倫理的観点から考えられたりと答える人によって視点は様々で、かつ正答なんてものは存在しないので度々議論の的となる。

この話の面白いところは、この炭坑夫たちのバックボーンが設定されていないところにあると私は思う。
例えば五人組の炭坑夫たちは総じて性格が最悪で、貴方、つまり同じ炭鉱の炭坑夫である貴方を常日頃からいじめていたとしたら。もう一方の道の炭坑夫だけがその炭鉱で貴方に優しくしてくれる同僚だとしたら。また話は変わってくる。

感情で命を取捨選択するのかと言われそうだが、人間が物事を決める上で感情が関わっていない事などない、人が人である以上はその決断に感情が少なからず反映されているものだ。

結局何が言いたいのかというと、何かを選ぶ時、何かを救うとき、何かを捨てるときには対象と自分のバックボーンを加味し、感情による判定を加えた上で判断するのは人として当然で恥ずべきではないということだ。

ところで私は今日バイトに来ているが、客は殆ど来ない、店長一人で事足りる程の来客数だ、きっと閉店までこの調子だろう。
世の中は未知の感染症でてんやわんやしていて、今この瞬間に私が感染していないとも、これから感染しないとも限らない。
まだ20代になったばかりの私と、充分生きて伴侶も居ない店長ではどちらが死んだほうが被害が少ないだろう、私と店長のバックボーン、感情を加味して考えると『店長』ということになり、私は早急に帰宅するべきなのではあるまいか!!」

店長「つまり何が言いたいの?」

私「早上がりしていいですか?」

店長「寝言は寝て言え」


無駄話を読んでくれてありがとう、
では私はまだ仕事が残っているのでこれで。
また明日。

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