真っ当に

ある生配信の動画で、配信者が活動に限界を感じたことがあったとか、世間の人間と理想とのギャップで悩むことがあった、みたいな話をしていた。

そのコメントはほとんどが配信者を労い、無理をしないで自分のペースでいいとか、少し変えてはいるがそういった優しいコメントだった。

しかし1人だけ、世間を舐めている、他人のせいにするな、真っ当に働けと実際にはもっと馬鹿にした感じで強い言葉をコメントしている人がいた。

別に自分に向けられた訳でもないし、その配信者の事がすごく好きだという訳でもないので、そのコメントに怒ったり傷ついたりはしないのだが、

真っ当に、というのがとてもひっかかった。

真っ当に働く、とはなんだろうか。少なくともこの人にとって配信者とは真っ当に働いている事にはならないらしい。おそらくスーツ着て会社行って仕事して給料貰うとか、作業着着て現場行って建築するとか、そういうのだけがこの人にとっての真っ当に働いている状態なのだろう。もちろん私はそうは思わないが。

人々に娯楽を与えるのも立派な仕事であるし、そもそもその人自体、しっかりアカウントを作ってリアルタイムで配信を見るほどこの娯楽にどっぷり浸かっている。この人の言う真っ当ではない働き方の人間に、この人は楽しまされている。

とても個人的な意見だが、

真っ当に働いている人間、まあ例えば一般の企業に就職していて、仕事をし、それなりの稼ぎで、その趣味が動画へのアンチコメントって。それは真っ当に働いてはいるが、真っ当な生き方とは言えないんじゃないかと。

その人の背景は知らない、でもきっと自分は真っ当に働いていると思っているんだろう。だから自分とは違う生き方を否定して、自分のプライドを保とうとしている。必死に、小さな小さな、沢山の善意に埋もれながら、自分を守るために、反撃をしない相手への攻撃。

疲れている人が多すぎる。弱くなれない人が多すぎる。強くなくてはならないなんて、頑張っていなければならないなんて、そんなこと絶対にないのに。

あの人の強い言葉は、きっと自分に対して無意識に課している縛りだ。

甘えるな、期待するな、レールから外れるな。

この時代になってもまだ、そんな思いに囚われたままの人が大勢いる。そして大抵それらは救われないまま、次の世代への呪いになる。

もう二度と見かけることも無いだろうけれど、

あの人が自分に、他人に、「甘えるな」じゃなく「頑張ったね」と言える日が来るといいなと願う。


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