アベリア
じんわりと額に浮かぶ汗、先刻まではタオルで必死に拭っていたが、それが無駄な事だと気づいたのでもう気にするのをやめた。
遥か山向こうに見える暗い雲をみて、早く目的地に向かわねばと捜索を再開する。
「ジジジジジジ、ジジジジジジジ」
そこら中の木々から鳴る不協和音は、汗だくなうえに泥だらけ、そして焦っている私の苛立ちを加速させ、もう諦めてしまおうかという思いが段々と存在感を増す。
素敵な夏だった、思い描いた通りの夏だった。それが余計に今の私を苦しめる。
先程までなるべく汚れないようにと気をつけていたワイシャツも、茶と赤で取り返しのつかない模様が出来ている。
わざわざ田舎になんて来なければよかった、こんなに道が悪く、右も左も田、田、田。理想だけで来るにはあまりに過酷な環境だ。
「〜♪」
好きな歌を歌って自分を奮い立たせる。ここに来ようと思った理由の歌。自由の歌。
ここで諦めてのこのこと帰っては、これまでの全てが無駄になってしまう。そう何度も何度も心で繰り返す。
そうして2時間ほどがたってから、特に深い感動もなく落し物は見つかった。多少泥が付いているが、まあ問題無いだろう。
この歳になって自転車で転け、あまつさえモノを吹っ飛ばして田んぼに落とすなんてことがあるとは思わなかった。
顔と腕の血もとうの昔に乾いていた。
「ジジジジジジジジジジジジジジ、ジジジジジジジ」
前輪のひしゃげた自転車は諦め、泥がついたまま靴を履いて目的地に向かう。
音と匂いがもうそう遠くないことを教えてくれる。
小高い丘の頂上に着いた時に、それは大きな波と風の音と共に姿を見せた。
砂浜には誰の姿もない、どうやら今年は遊泳を禁止しているようだ。とはいえ私は遊泳しに来た訳では無いので砂浜を突っ切る。
行きたかったカフェ、水族館、温泉に海外まで全部行った。貯金の全てを使い果たした、それでも足りなかった分は家具を売った。
欲しかった服を買い、読みたかった本を読み、ちょっと興味のあった趣味を全てやった。どれもセンスは無かったが。
コレが届いてから、人生で1番楽しい日々を過ごすことが出来た。踏み出せなかった沢山の「最初の一歩」を踏み出すための力をくれた。
「ザァアアアアア…………」
波の音しか聴こえない、ここまで来ればもう、他には何も要らない。
「ゥゥゥゥゥウウウウウウウウ……」
もう少しだけ感傷に浸りたかったが、サイレンの音が刻限であることを報せる。
……もしかしたら、他の方法もあったかもしれないよね。本当にこれでよかったのかな。
さあ、私にはもうわからないよ。もうどうしようも出来ないしね。
そっか。私、幸せになれるかなぁ。
「「ないでしょ」」
パァンッ_______________
泥だらけの引き金は、1回目より少しだけ軽く感じた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『本日未明、**市に在住の男性、○○○・○○さん28歳が、自宅で死亡しているのが発見されました。
凶器は拳銃とみられ、なんらかの事情を知っているとされる被害者の元恋人である□□・□さん26歳が同市の**海岸で拳銃を用いた自殺をしているのを、□□さんを捜索中だった警察官2名が発見しました。
拳銃は□□さんが不法に入手したものであり、痴情のもつれによる犯行とみて捜査を続けています。
尚、□□さんの自室から見つかった遺書には_______________』
物騒な事件もあるものだとカップラーメンを啜りながら思う。
飯が不味くなる気がしたのでチャンネルを変えて、特に興味のない将棋の実況を流す。
「あ、やべ、まだ用意してなかった」
空のダンボールに急いで緩衝材を詰める。ここまで丁寧にしなくてもと我ながら思うけど、ここはやはり信頼が大事なのだ。
そうして最後にゆっくりと品物を入れて梱包する。
この種は、綺麗な花が咲くらしい。
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