17. ありのままの自分を好きになる、ってどうやるの?自分が大嫌いだった自分へ。

ボディ・ポジティブ、セルフラブ(自己愛)、セルフコンフィデンス(自己肯定)によって変わった自分

わたしは、ボディ・ポジティブ、セルフラブ(自己愛)、セルフコンフィデンス(自己肯定)をテーマに、よくお話をさせていただいていますが、そんな私は昔は自分のことが大嫌いな劣等感の鬼でした。

自分の顔も体も大嫌いで、何度も整形したいと思ったこともありますし、無理なダイエットも重ねたり、自分を大切にしたい、大切にしてもらいたいと思っていたのに、その劣等感のせいで周りの人も自分も傷つけていました。ハリセンボンのジレンマです。

そんな中で、ボディ・ポジティブやセルフラブなどの考えが西洋では浸透していて、接する人々がみんな肯定感をもって、自分自身や周りの人と関係を構築していることを知りました。「考え」として、ただ存在しているのではなく、みんながそれを信じて体現している。その中で、少しずつですが、自分のことを徐々に受け入れて、好きになることができました。ボディ・ポジティブやセルフラブなどの考えを通じて、自分との対話を重ねて意識改革・自己改革ができたのです。

健康的なマインドと意識

ボディ・ポジティブ=体の自己肯定、セルフラブ(自己愛)、セルフコンフィデンス(自己肯定)=精神的な自己肯定ですが、心と体は親密に繋がっていると思います。心が元気な時は、外見が気にならなくなったり。外見に自信を持てたら、心が元気になったり。

精神的に自己肯定をすることにより、周りの人間に振り回されなくなりました。例えば、誰かに冷たくされたりするとします。前だったら、何かしてしまったんだろうか、嫌われてしまったんだろうか、と心配で心がいっぱいになって他のことに手がつかなくなっていました。今は、何か自分がしたのかを冷静に客観的に分析し、例えば、たぶん機嫌が悪かったんだろう、と切り離すことができたのです。もしくは、自分にとってネガティブな関係性はいらない、とも切り離せるようになりました。よく言われる「嫌われる勇気」に近いかもしれません。

逆に人の優しさについても受け入れ態勢ができました前は自分に優しくしてくへる人なんていない、なんて捻くれていましたし、手を差し伸べてくれる人を押しのけてしまっていました。今は、素直に人の優しさを感謝の気持ちと共に受け入れることができるようになりました。

優しさについて、自己肯定感がないと受け入れられないなんて思っていなかったので、これを知ることにより、わたしの世界がバラ色とまではいきませんが、一気に好転したのです。

ただ単純に、わたしがかなり捻くれていた、自己中心的な人間だったということだけかもしれませんが、、、

健康的な体とポジティビティ

見た目を受け入れることの方が少しトリッキーです。なぜならわたしは常日頃から、見た目において「これが正しい、あるべき姿」というものを見せられているからです。

テレビ、映画、広告、雑誌、インフルエンサー、などなど、私たちは知らない内にこれが魅力的なものなのだ、と小さい頃から刷り込まれていたのです。また、最近のネット広告で、ネガティブ広告を多く見るのもいかがなものかと思います。脅迫的なメッセージで、例えば、細くなかったら浮気される、や肌が綺麗じゃないと離婚される、、、など、そんな恐怖心を煽るような広告は近々禁止されるようになると思います。

知り合いの男性友人に聞いてみると大きい胸が好きという人は10人中2人でした。ガリガリなほどに細い人が好きというのは、10人中1人でした。多分女性の方がもっと大きい胸だったらよかったのに、もっと細かったらよかったのに、と思っている人の方が多いのではないでしょうか。

最近ではグラビア雑誌がコンビニから消えましたが、小さい頃からグラビア雑誌で胸が大きい女性を見ていたら、そうあるべきなのだと思ってしまうのです。そうあるべきではない自分にコンプレックスを感じてしまうのです。ファッション雑誌も細い女性しか掲載されていなかったら、細くあるべきだと思ってしまうのです。それは、私たちがメディアに掲載されているものを魅力的であると伝えているからなのです。

顔についても、同様です。目がぱっちりしていて、鼻が高くて、顎がシャープで、という顔をよくみるから、それを魅力的に感じる。

近年のボディ・ポジティブの活動については、こういったメディアに掲載される「魅力的な姿」を多様化させようというものです。ぽっちゃりしていても、肌が完璧じゃなくても、ちょっと特徴的な顔つきでも、ロールモデルとしてメディアに掲載することにより「見た目の美しさ」が多様化させていくというものです。

わたしは長年自分の顔も体も大嫌いで、今でも100%好きとは言えません。特に今はコロナ太りをしてしまい、あまり健康的に自分の体とは向き合えません。

でも体も精神的な方法と同じように、向き合い、受け入れることで、そこまでその劣等感に支配されることはなくなるのです。自分が健康的だなと思えるラインができ、そのラインができると自分の見た目と健康的な対話がで切るようになりました。

また、精神的に自己肯定していることも、表情だったり、仕草だったり、昔より「綺麗」になったと思っています。

謙遜の文化、日本

すこし話がそれますが、日本では謙遜することが美しいという文化があると思いますが、それが自分を卑下する、自分に自信をもたないことが良い、かっこいい、という考えに潜在的に繋がっているのではないかと思います。

例えば、目の前に自分のことが大好きで、自信に満ち溢れている人をみるとどうでしょうか。日本では、そういった人に対して「引く」という感情が生まれてくると思います。それが、海外では、あんなにあの人は自身に満ち溢れていて、素敵だね、という風になります。

西洋の考えがすべて正しいとは思いませんが、ヨガやマインドフルネスなどが流行しているのは、自己肯定を行う術を日本人も模索しているからではないかと思います。

謙遜することはもちろん文化的なことなので、全くダメ、ということではありませんが、謙遜することと自分を受け入れたり、自己肯定したりすることは別のものということをわたしは気をつけています。また、どんだけ自分自身で自己肯定をしてあげようとしても、他人から否定されることにより一気に自信を失ったりします。自分を自己肯定しようとする時には、他人を肯定してあげるということが大事なのではないかと思います。それには、多様性を知って、理解するというステップから始まるのではないかと思います。

自分のことを好きになる方法

わたしは、自分のことが大嫌いだったので、どうにかして自分のことを好きになりたい、でもなる方法がわからない!とずっと思っていました。自分のことが好きじゃないから、他人に好かれないし、他人に好かれたからといって、自分のことが好きじゃないから好きになれない、、、!なんて、、笑

今考えると悲劇のヒロインぶって、自分に浸っていたのだと思います。

わたしは自分との長年の対話を経て、「あまり気にしない」「自分のような人間がいても別にいい」「他人ではなく、自分の納得できる自分の姿」という3つの考えに落ち着いてから、自分を受け入れやすくなってきたかなと思います。

この投稿は、「ありのままの姿」を推奨する人って整形やダイエットをダメって言うよね、と言われたことがきっかけで書こうと思ったのですが、きっと「ありのままの姿」ってそういったコンプレックスもひっくるめて「自分」なのです。

整形やダイエットも、自分が自信を持てるなら、わたしはやっていいと思いますし、やって人生が変わった人も何人も見たことがあります。ただ、自己肯定感がないまま整形やダイエットを行うと、度を過ぎてしまう場合があるのではないかと思います。整形中毒になってしまって表情がこわばってしまっている子、ダイエットに過度に神経質になって食事に行くのが大変な子。自分自身も拒食症と過食症を経験したことがありますが、健康的なところを逸脱しやすいのです。だからこそ、

ダメなところもひっくるめて、自分らしい。

自分のことが嫌いな自分も含めて、自分が好き。

気になるところは、冷静的に、客観的に見て、分析する。

どうしてもモノと情報が溢れているこの世の中では、マテリアルが重要性を持っているように見えがちです。ただ、表面的なものを追求しても、焦燥感と虚しさしか残りませんでした。そして、自分の表面的なところを好きといって近寄って来る人は、意外と自分のコンプレックスを他人に投影していて、ちょっとしたことで離れていく信用できない人が多かったですし、そんな人は自分の人生には必要ないと距離を置いたら本当に大事な人しか周りに残りませんでした。

生まれ持った見た目は簡単には変えられないですが、マインドは変えられる。マインドを変えられれば、自分の受け取る見た目が変わる。そしてそれが社会全体に広まって、多様な美しさが容認される社会ができればいいな、と思うこの頃です。

あくまでこの考えは、わたしにとって有効的な考えだったのですが、全員に当てはまるという訳ではないかもしれません。みなさんが、自分自身をハッピーにできるような考え方と出会えますように。


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