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第二十七回:シングル盤という雑多なもの

片岡義男『ドーナツを聴く』
Text & Photo:Yoshio Kataoka

ビームスが発行する文芸カルチャー誌 IN THE CITY で好評だった連載が復活。片岡義男が買って、撮って、考えた「ドーナツ盤(=7インチ・シングル)」との付き合いかた


友人の篠原恒木から二度に分けてシングル盤が届いた。合計すると五百枚はあるだろうか。彼が十代だった頃、夢中で聴いたシングル盤だという。彼が十代だった頃の後半が、シングル盤の最盛期の後半と重なっている。ラジオで放送されるかどうかが、購入するかしないかを分ける、重要な岐路だったという。当時の彼が持っていた現金では、シングル盤なら自由に買えた。LPを買うようになったのは、数年あとでした、と彼は言っている。まだ全部を見たわけではないけれど、日本におけるシングル盤の世界は確実にあった、なんでもいい、売れればそれに越したことはない、という基準が、徹底して守られている様子は、当時の価値観をそのまま反映している。

友人の篠原恒木から二度に分けてシングル盤が届いた。合計すると五百枚はあるだろうか。彼が十代だった頃、夢中で聴いたシングル盤だという。彼が十代だった頃の後半が、シングル盤の最盛期の後半と重なっている。ラジオで放送されるかどうかが、購入するかしないかを分ける、重要な岐路だったという。当時の彼が持っていた現金では、シングル盤なら自由に買えた。LPを買うようになったのは、数年あとでした、と彼は言っている。まだ全部を見たわけではないけれど、日本におけるシングル盤の世界は確実にあった、なんでもいい、売れればそれに越したことはない、という基準が、徹底して守られている様子は、当時の価値観をそのまま反映している。

ザ・ビートルズだけ別にしてみた。篠原さんが送ってくれたシングル盤から、ザ・ビートルズだけを古書ほうろうという古書店に送り、そこで値段を新たにつけてもらい、ふたたび市場に出すことを、いまの僕は考えている。

トニー・ダララの『ラ・ノヴィア』の日本語題名が『泣きぬれて』だったことを、いま僕は初めて知った。プラターズの男性四人はテナーがふたりに、バリトンとベースが一名ずつであることは、最初の頃からおなじだ。ひとりだけいる女性の名は、ゾラ・テイラーという。『マイ・ミステイク』のダイアナとマーヴィンは、ダイアナ・ロスとマーヴィン・ゲイではないか。『ワーク・ソング』と『16トン』のオスカー・ブラウン・ジュニアは、写真での姿を初めて見た。こんな人だったのか、という発見だ。ラムゼイ・ルイス・トリオの『ジ・イン・クラウド』と『ハング・オン・スルーピー』は、どちらともライヴからの収録だ。



片岡義男
かたおか・よしお。作家、写真家。1960年代より活躍。
『スローなブギにしてくれ』『ぼくはプレスリーが大好き』『ロンサム・カウボーイ』『日本語の外へ』など著作多数。近著に短編小説集『これでいくほかないのよ』(亜紀書房)がある。 https://kataokayoshio.com


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