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あべ的「怒る」ことの必要性。


「怒ってはいけません。叱るのです。」

大学で教職課程をとっていたとき、よくこんな講義を受けた。怒ったって子どもには何がいけないのかわからないから、まずこちらが冷静になって、きちんと説諭することが大事だという話だ。

その時は、「うん。そうだな。」と素直に納得した記憶がある。「俺も気をつけよう」と。


でも今、それは違うな、と思うことが増えた。正確には「怒ることが100%悪いわけじゃない」そして「むしろまず怒ることが必要なときもある」と思うのだ。


それは、我慢すると自分にストレスだからとかそういうことではなく、

「怒られる」ことが子どもにとって必要で、大切だ

と思うことが増えたからだ。キーワードは「信頼関係」。


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相手が大人なら、怒ることはあまり意味がないと僕は思う。互いにそれなりの誠意を持って仕事をしているならね。

だって何が問題なのかさえきちんとわかれば、相手だって動いてくれるもの。そこに「俺は、お前に非常に腹が立っている」なんてことをぶちまけたところで、その苛立ちの分、解決が遅れるだけだ。
冷静にことを運んで、まず解決したほうがいい。


でも子どもはそうじゃない。


「何がどういけなかったのか」をわかることは大切だし、「次はどうすればいいのか」をきちんと考えられることはもっと大切だ。

だけど、

「どうすればいいかがわかる」ということと、「次はそうしたい」と思うことは違う。

子どもには、大人の理屈がわかったって、それに従う理屈はないからだ。

「赤信号は止まれだよ」ときちんと理解していたって、悪気もなく赤信号で渡りたくなるんだ。「それは大人が勝手に決めたルールでしょ?」って。

「だってこっちだって正解かもしれないじゃん」みたいな感覚かもしれない。


子どもには、理屈ではなく理由が必要なんだ。


自分の選択を反省し、改めるための理由が。

だから僕は時に怒る。叱るんじゃない。自分がどれほどそれを許せないのか、その感情の大きさをぶちまける。

それが一番いい方法だとは言い切れない。だけど、「あの人があんなに怒ってた」という衝撃は、彼らの中で強烈なインパクトを残すことがあると個人的には感じている。


「まずいことしたな。次はやめよう。」


まずそう感じることが大切。心の底からそう感じられたら、「次からはこうしなさい」って話がきちんと通る。

それは、「あの人の言うことは、聞いておきたい」という日頃のふれあいの中で培った信頼関係があってこそのものなのだと思う。

正しい理屈はわかる。でも、なんで俺がそれに従わなきゃいけないんだ?と無意識に反発する。

そういうとき、「叱る」ではなく「怒る」という選択が価値を生むことがあると僕は思う。


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