雑感....年祭と諭達と数値目標と別席とか
令和4年10月26日に『諭達』第4号が発布されました。
内容についてはここ何度かの年祭前に出されたものと大きく異なる部分は無く、強いて相違点をあげるなら表現の柔らかさが逆に気になった点でしょうか。「希望もありましたので、今日付けをもって、諭達を出すことにしたのであります」との言葉にも正直なところ、ちょっと拍子抜けしました。
まあ『天理教教規』第21条には
とありますので、「希望もありましたので」という文言は間違いではないのでしょうが。
それはさておき、考えてみれば年祭の三年前に発布される『諭達』は年祭の意義と、そこに向かう心の置き所について示すものであるので、毎回大きく変わることが無いのも当然といえば当然ですよね。
大事なのは、本部員やそれぞれの直属教会長(大教会や本部直属分教会)がこの『諭達』をどのように咀嚼して先々の教会に下ろすか。という点に尽きるのではないかと思っております。
余談ですが、私たちは『諭達』と聞くと、たちまち「年祭」を想起してしまいますが、『諭達』は年祭の前だけに発布されるものではなく、全教が一丸となることが求められる時や、真柱の継承などの節目に発布されてきました。現真柱の継承報告祭にあたっての『諭達』第1号(立教161年10月25日発布)に記された
という冒頭の文章は今も記憶に残っています。
また大正期に発布された『諭達』を見てみると戦争協力を求めるものが多く、忸怩たる思いにかられますが、国家に屈する道を選ばざるを得なかった先人の苦衷は想像を絶するものだったと思います。
国家からの弾圧に苦しみぬいた末、1908年(明治41年)11月27日にようやく神道本局から独立する悲願を果たして間もない頃のことです。
国家体制への協力を拒むことによって認可を取り消され、再び「淫祠邪教」と蔑まれた時代に戻ってしまうかも知れません。
そうした中で、もし自分がその決断を迫られる立場にあったら、どう判断したであろうかと考えると、先人の選択を安易に批判する気持ちにはなれないのです。
余談が過ぎましたね。
さて、『諭達』の発布を受けた今、三年千日の具体的な活動方針が気になるところですが、ここで過去の年祭ごとの「人の数」についての資料をご覧ください。
教祖80年祭から130年祭にかけて、一教会ごとの「おつとめ奉仕者数」と「参拝者数」の推移です。
はっきり申し上げて、減少の一途です。
これまでも年祭の年には別席者数や修養科生の数は増加しました。でもお決まりのように翌年から減少しております。
「百という字の意は、白紙に戻り一より始めるを謂う」と格調高く宣言された100年祭にしても、多くの御供えは集まったかも知れませんが、一教会あたりの参拝者数は90年祭に比べても減少しています。
あれほど頑張った100年祭です。御供にまつわる不幸な出来事も多発した年祭でした。それでも本当の意味での結果は出ていないのではないでしょうか。
130年祭の時点にいたっては朝夕のおつとめの奉仕者数が3人に届いていません。現時点では更に減少していると考えられます。
教勢を示す真のバロメーターは教会での朝夕のおつとめと月次祭への参拝者数ではないかと私は思っています。
こうした現状は三年千日で各直属が様々な数値目標を掲げ、部内教会の尻を叩くという手法の誤りを如実に物語っていると思うのですが、みなさんは如何思われるでしょうか。
おやさと研究所の辻井正和氏は『天理教の教勢100年』- 統計数字から客観的にみる -の中で「ようぼく再生産率」について
と指摘しています。「にをいがけ・おたすけ」を否定するつもりは毛頭ありませんが、いくら本部や大教会が旗を振ろうとも、これではコスパ悪すぎと言わざるを得ません。
以前『別席制度がもたらしたもの』でも書きましたが、信仰を始めた方や、お付き合いでおぢばがえりをしてくださった方に、闇雲に、あるいはごまかして初席を勧める手法のツケが、毎回の年祭後に回ってきたのではないかと思っています。
恐らく、140年祭でも数値目標が定められるであろうと予測していますが、別席を信仰の入口にするのはもうやめませんか?今、お道に必要なのは、ようぼくではない信者さんや、未信仰であっても教会に立ち寄ってくれる方を増やし、裾野を拡げることではないかと思うのです。
人が気軽に立ち寄りたくなるような教会。それが求められていると思うのです。
また、後継者の教会離れも深刻な問題だと思っています。
信者さんの多い豊かな教会はさておき、カツカツで生活する中、上級から御供をはじめとする様々な数値目標を与えられ、子供を顧みず歯を食いしばって通る親を見て育った教会子弟が、未来に希望を見いだせなくなるのは当然の帰結でしょう。
後継者問題の多くが、教会の経済事情とリンクしていると私は感じています。
その他に、本部の管内の学校(特に高校)を卒業した後継者が、お道を離れる例が少なくないことも何事かを物語っていると思います。
さて、現実問題として年祭に向かう三年千日を「考えるだけでしんどい」と思う方の声は教内に溢れています。
そうした声を挙げる人を「信仰が足りない」と責め立てるだけでは何も変わらないんじゃないでしょうか。
本来、明るく勇んで通るべき日々に、重苦しい影を落とすような三年千日を教祖が望んでおられるとは到底思えません。
皆が明るく通れる三年千日であってほしいと切に願う今日この頃であります。