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Beが書いたもんどす

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天理教に関してBeが思うことを書いた記事です。批判的なものが多いので、アンチ天理教と思われがちですが、「ホンマかいな?」と首を傾げたくなる「教理もどき」に辟易としている私は、ただ…
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#御供

教祖(おやさま)のご日常と存命の理について

教祖のご日常先日、存命の教祖のお給仕をされている本部婦人さんからお話を聴く機会を得ました。仮にS婦人としておきます。 ※天理教の教祖存命の理については天理教公式WEBページで 本部になんの伝手もない僕などには窺い知ることのできなかった教祖のご日常について、事細かにお聴かせいただきましたので、そのお話をご紹介いたします。 以下にS婦人のお話の要点を記します。 教祖のご日課 まずご日課についてです。 教祖は朝づとめの30分前にお目覚めになると、まずご洗顔あそばされ、その後お茶

雑感....年祭と諭達と数値目標と別席とか

令和4年10月26日に『諭達』第4号が発布されました。 内容についてはここ何度かの年祭前に出されたものと大きく異なる部分は無く、強いて相違点をあげるなら表現の柔らかさが逆に気になった点でしょうか。「希望もありましたので、今日付けをもって、諭達を出すことにしたのであります」との言葉にも正直なところ、ちょっと拍子抜けしました。 まあ『天理教教規』第21条には とありますので、「希望もありましたので」という文言は間違いではないのでしょうが。 それはさておき、考えてみれば年祭の三年

陽気ぐらし試論

『みちのとも』6月号に教祖140年祭に向かう歩み方についての両統領によるインタビュー記事が掲載されました。 私の系統では大教会長から全部内教会長に対して「必ず読むように」との至上命令が降りました。なんだか「読まんかったらタダじゃおかんからな!」という勢いでした。 気の小さい私など「え。読まんかったらどうなるの?埋められちゃうの?沈められちゃうの?」と雨に濡れた子犬のようにブルブル震えましたよ。 もちろん届くや否や、襟も膝も正して拝読いたしました。いたしましたとも。これでも素

まだ間に合うのだろうか

二代真柱が著した『おふでさき概説』に 「これ迄の先輩の歩みを習うと同時に、それが教祖の教えられた本筋に添っていないものならば、今からでも遅くはないから改めて貰いたい」 とあります。 この言葉について。天理大学おやさと研究所の辻井正和氏は と述べています。明治21年に遡って見直す(゚ロ゚;)ハッ!! 本当にそれが成されればお道は蘇るかも知れません。 教団の良心に期待するばかりです。 さて教勢が衰退する今、明治21年まで遡らずともその原因を見つめ直すことが喫緊の課題であるのは

理の親ってなんだ?

※こせつ氏からの批判に対する反証はこちらをクリック。 昭和27年に開講された第14回教義講習会で、講師である山名大教会 諸井慶五郎は「理の子供として、又理の親として、現実の姿には色々ありますが、これを具体的に申しますならば上級教会と部属教会、教会長と信徒、たすけた人とたすけられた人、という事になりましょう」と理の親子の関係について講義をした。聴衆は全国から寄り集った教会長である。教祖の教えに無い理の親信仰が、あたかも純教理の如く伝えられたのである。 この講義の内容に危機感を

ゆるやかな洗脳

2022年(令和4年)7月8日午前11時31分、安倍首相が銃撃されてお亡くなりになりました。この痛ましい事件を契機に、統一教会の常軌を逸した献金が問題視され、同時に宗教二世問題が大々的に取り上げられるようになりました。 程度の差はあれ、どのような宗教団体にも当てはまる問題なのではないか思います。何故なら、「目に見えない神を信じるという行為は、ゆるやかな洗脳状態にある」と言う学者もいますから。 ・・・・・知らんけど。 統一教会が献金を募る手法は洗脳による恐怖心に依拠しており、報