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普遍的な「正しさ」はない

 普遍的に「正しいこと」なんてものは存在しない。「やりたいか、やりたくないか」、「好きか、嫌いか」みたいな、主観でしかない という話です。

 「正しさ」の基準というものは、主観により決まる、定性的な基準と感じます。人はそれぞれ自分の中に勝手な「正しさ」を設定する自由があり、他者が定義するものではないということです。

 ある人は赤い羽根の募金があったときに、募金をすることが正しいと思いますし、他の人は募金をしないで別のなにか(別の募金、ものを買って生活の質を上げる etc.)に使う方が正しいと感じます。この例はどちらも「正しい」と感じますね。このことは、「正しさ」は人によって違うということを示しています。

 もちろん法律やその他の判断の基準が「正しい」と思う根拠になることが多いと思いますが、それはそれらの基準を「正しい」と判断するという本人の決断があるのです。たとえば法律や憲法はかなり多くの人の「正しさ」に合致しているというだけで、普遍的に「正しい」わけではないので、いつも反対派がいます。

 それなのに、専門家がこう言っているから正しいとか、歴史上の偉人の名言だから正しいということをいう人が一定数いると感じます。つまり、ある特定の「正しさ」が全員に適用されると思ってしまう人が多くいる気がします。上司が言っているから、会社の全員が言っているから、医者が言っているから、専門家が言っているから、さまざまな「正しさの根拠」が手に入りやすい世の中ですが、最終的に「正しさ」の基準になるのは自分の主観であると思うのです。

 当然、「普遍的な「正しさ」がある」と思うのも自由ですが、その価値観を受け入れないのは自由なので、「普遍的な「正しさ」がある」として正義を振りかざすと相当生きづらくなると思います。

 もちろん、「多様な「正しさ」を認める」ことも、すごく大変なことで、多様さを保ったまま、うまく世の中を回すのは大変でしょうが(ある程度の束縛や洗脳的な行為は世の中を安定させる為には非常に便利と思います)、少なくとも精神の健全性は保たれそうです。

 

 


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